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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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今週の「平清盛」

源義朝が死ぬ場面でしたが、普通は風呂場でだまし討ちにされたという話になっております。

東国に落ちのびようとする義朝は、自分につき従っていた鎌田政清の舅(しゅうと、妻の父)である長田忠致(おさだただむね)を頼りますが、恩賞に目がくらんだ忠致は義朝をだまし討ちにして、義朝の首を平氏に差し出します。

義朝に木刀の一本でもあれば、と墓には木刀を供える人がいまもいます(野間大坊)

忠致は恩賞に義朝の官位であった左馬頭(さまのかみ)、あるいは尾張か美濃の国司を望んだと言いますが、あまりのあさましさに清盛も逆に処罰しようとしたほどだったそうです。

頼朝が挙兵すると、頼朝から「働けば美濃、尾張を与えよう」と言われて源氏に従いますが、最期は頼朝によって殺されてしまいます。「美濃尾張(身の終わり)を与えよう」という話で、ややできすぎた感はありますが、頼朝の非情さが感じられる逸話ではあります。

「戦国人物紹介」で戦国時代の人物を中心に書いていますが、頼朝についても書きたいんだよね。武家政権の創始者として、家康などにも影響を与えた人物ですしね。武家の棟梁としての非情さ、冷酷さ…後世の描かれ方による影響もあるんでしょうけどね。真実の姿に迫ってみたい、書いてみたいと思わせる人物です。
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