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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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今年に入ってから、「仕事のぼやき」と「婚活」のカテゴリーを増やしまして、ブログにも活気が出てきたかなと思っております。みなさまのおかげです。ありがとうございます。歴史の記事にもどんどんコメントしていいんだからね!(笑)

ツイッターで書いてみた、上杉景勝・毛利輝元の、関ヶ原で負けた二人の比較をやっていたら面白くなってしまって、ついでに関ヶ原の戦いの政治的な意義についての下書きまでできてしまって、歴史って楽しい、といまさらながらに思った次第です。

以下はツイッターからの転載(一部改編)

関ヶ原の戦いで大きく領地を減らしたのが上杉景勝と毛利輝元だが、どちらの評価が高いかというと、多くの人が上杉景勝と答えるだろう。かたや、関東に義を唱えた上杉謙信の、かたや中国に覇を唱えた毛利元就の、それぞれ後継者である。最終的にはどちらも三十万石程度の大名に収まった。

それぞれの性格や置かれた環境、補佐する人物の存在など、様々な要素が考えられるが、景勝は義を貫いて家名を守ったと賞賛されるし、輝元は元就の代からの領地を一代で失ったと非難されることが多いだろう。潔さと不甲斐なさ(人の良さ)、それぞれの取った行動がどのような印象を与えるかも評価に影響するだろう。

…続きを書きたくて仕方がないのですが、これ以上は下調べが必要になりますので、あらためて。最初から文献を片手に、調べながら書いていくのもいいのですが、何も見ずに(そらで)ダダダーっと大まかな文章だけ作ってしまって、そこに肉を付けていくというか、調べながら付け足していくというのもまた楽しいことでして。「戦国人物紹介」はだいたいこの二通りの書き方で構成されています。この人物についてこれは書かなくちゃ、とインスピレーションが湧く場合が多いのですが、この人物は紹介しなければいけない重要な人物だけれど、何を書いたらいいものか、と悩むことも少なくありません。逆に、小早川隆景みたいに、どこから書いても楽しいって人も中にはいますけどね。その楽しさを伝えきれない私の文章の拙さが残念ではあります。

話を戻すと、毛利輝元は北条氏政あたりと比べても面白いんじゃないでしょうか。北条氏の出自は、いまは中央の伊勢氏の流れをくむ名門となっていますが、関東に出てからは「北条」を称したことからしても成り上がりですしね。毛利氏ももとは安芸の国人領主の一つに過ぎませんでした(ほかにも似たような領主がたくさんいた)

有能な当主が出ても、次も有能かどうかってのはわからない。北条氏は名君と言えるような当主が三代続きましたが、これはこの時代に限らず非常に珍しいことです。徳川将軍家だって、三代目はアレだしねw

武田信玄も偉大な人物ですが、彼の時代に(それ以前からのものもある)内包した矛盾が次の代で噴き出すのですから、この部分は割り引いて評価しなければなりません。
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