兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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「戦国人物紹介」
戦国で三兄弟といったら毛利三兄弟かなと思うのですが(九人兄弟だが、母を同じくするのはこの三兄弟)、ほかに信長の息子(信忠、信雄、信孝)の比較をやってみてもおもしろいでしょうね。三姉妹といったら浅井の三姉妹、四兄弟といったら島津氏でしょうか。真田四兄弟だとちょっと苦しいかも。あとは家康の子供とか、北条氏とか、三好氏とか(三好兄弟については以前書いた)。森蘭丸は五人兄弟でしたか。
森蘭丸と言えば、本能寺の変の意義は、信長という偉大な個性を喪失したということだけでなく、嫡男の信忠(すでに家督を譲られていた)も失うことで、織田政権がその官僚組織とともに滅んだところにあります。信忠が生き残っていれば、秀吉の簒奪もあり得ないものでした。また、秀吉は山崎の戦いで光秀に勝利しますが、中国地方の方面軍司令官に過ぎなかった秀吉は畿内の統治組織など持っておらず、自らの官僚組織の構築には数年を要することになります。
実名もわからないし、生まれた年もわからないけど、女性に光を当てたい。今回はこの女性。
039 五龍局 【ごりゅうのつぼね】 ?-1574
毛利元就の娘。実名は不明(大河ドラマ「毛利元就」では可愛、えの)。隆元(1523年生まれ)の妹で元春(1530年生まれ)、隆景の姉と言われる。母はみな元就の正室妙玖(みょうきゅう)。元就は妙玖のいるうちは側室を置かなかったという(ちなみに、毛利三兄弟も正室のみで側室を置いていない)。

妙玖(法名で実名は不明) 1499-1546 大河ドラマ「毛利元就」では富田靖子が演じた。
さて、隆元の上に姉がいたが、高橋氏の人質となり、元就が高橋氏を滅ぼしたときに高橋氏に殺されている。それゆえか、元就・妙玖はこの娘をことのほか可愛がったというが、1534年、宍戸氏と和睦したときに宍戸隆家の元に嫁いでいる。隆元と年子としてもまだ十歳かそこらである。隆家は毛利家の一門として遇され、二女が吉川元春の嫡男元長に、三女が毛利輝元のそれぞれ正室となっており、一門の絆を深める役割を果たしている(長女は伊予の河野氏に嫁いだ)。
気の強い女性だったと言われ、吉川元春の正室新庄局との仲は険悪だったという。「三子教訓状」の中でも、元就は「三兄弟とも自分と同じ気持ちになって、三人と同じ待遇をしてほしい」「三人と五龍の仲が悪くなったならば、自分に対する不幸この上ないことだ」と書いている。

Copyright © 2010, 2011 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.
醜女として知られる吉川元春の正室の父。父親がこの顔ではさぞかし娘も、と思いがちだが、後世の創作らしい。諸葛亮(孔明)にも「孔明の嫁選び」という逸話がある。
兄妹の仲が悪くて、元就が「みんな仲良くしてほしい」とこぼすあたりは、まだ毛利家が中国地方を制覇する前の、家族的な雰囲気を残している時代のアットホームないい話、という感じがする。
戦国で三兄弟といったら毛利三兄弟かなと思うのですが(九人兄弟だが、母を同じくするのはこの三兄弟)、ほかに信長の息子(信忠、信雄、信孝)の比較をやってみてもおもしろいでしょうね。三姉妹といったら浅井の三姉妹、四兄弟といったら島津氏でしょうか。真田四兄弟だとちょっと苦しいかも。あとは家康の子供とか、北条氏とか、三好氏とか(三好兄弟については以前書いた)。森蘭丸は五人兄弟でしたか。
森蘭丸と言えば、本能寺の変の意義は、信長という偉大な個性を喪失したということだけでなく、嫡男の信忠(すでに家督を譲られていた)も失うことで、織田政権がその官僚組織とともに滅んだところにあります。信忠が生き残っていれば、秀吉の簒奪もあり得ないものでした。また、秀吉は山崎の戦いで光秀に勝利しますが、中国地方の方面軍司令官に過ぎなかった秀吉は畿内の統治組織など持っておらず、自らの官僚組織の構築には数年を要することになります。
実名もわからないし、生まれた年もわからないけど、女性に光を当てたい。今回はこの女性。
039 五龍局 【ごりゅうのつぼね】 ?-1574
毛利元就の娘。実名は不明(大河ドラマ「毛利元就」では可愛、えの)。隆元(1523年生まれ)の妹で元春(1530年生まれ)、隆景の姉と言われる。母はみな元就の正室妙玖(みょうきゅう)。元就は妙玖のいるうちは側室を置かなかったという(ちなみに、毛利三兄弟も正室のみで側室を置いていない)。
妙玖(法名で実名は不明) 1499-1546 大河ドラマ「毛利元就」では富田靖子が演じた。
さて、隆元の上に姉がいたが、高橋氏の人質となり、元就が高橋氏を滅ぼしたときに高橋氏に殺されている。それゆえか、元就・妙玖はこの娘をことのほか可愛がったというが、1534年、宍戸氏と和睦したときに宍戸隆家の元に嫁いでいる。隆元と年子としてもまだ十歳かそこらである。隆家は毛利家の一門として遇され、二女が吉川元春の嫡男元長に、三女が毛利輝元のそれぞれ正室となっており、一門の絆を深める役割を果たしている(長女は伊予の河野氏に嫁いだ)。
気の強い女性だったと言われ、吉川元春の正室新庄局との仲は険悪だったという。「三子教訓状」の中でも、元就は「三兄弟とも自分と同じ気持ちになって、三人と同じ待遇をしてほしい」「三人と五龍の仲が悪くなったならば、自分に対する不幸この上ないことだ」と書いている。
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醜女として知られる吉川元春の正室の父。父親がこの顔ではさぞかし娘も、と思いがちだが、後世の創作らしい。諸葛亮(孔明)にも「孔明の嫁選び」という逸話がある。
兄妹の仲が悪くて、元就が「みんな仲良くしてほしい」とこぼすあたりは、まだ毛利家が中国地方を制覇する前の、家族的な雰囲気を残している時代のアットホームないい話、という感じがする。
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