忍者ブログ
兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「戦国人物紹介」

■甲斐武田氏2

 武田家、というよりも信玄の人気は、のちに天下を取った徳川家が武田家の遺臣を多く召し抱えたこともあって、信玄を顕彰したことが大きく影響しています。


 また、武田家が人気になる理由の一つはある種定型化されたもので、三国志の蜀などにも通じる形だったりします。そこには、信玄自身が優秀な武将で、さらに武田二十四将と呼ばれる魅力的な家臣団がそろい(ちなみに、全員が一堂に会したことはない)、戦国最強と称されながらも、次の勝頼の代で滅んでしまうというカタストロフィ(悲劇)があります。

 先に三国志の話をすると、劉備の評価は昔に比べると下がりました、というか、いまや一部では偽善者扱いですが、曹操や孫権(あるいは父の孫堅)のように初めから一族や家臣、豪族たちの協力があったわけではなく、劉姓の人物が一つの地方国家を作るまでになった(成り上がった)のですから、狡猾さがないはずがありません。
 このあたりの再評価があって、現在の劉備の評価は一度下がってまた別のところで上がった形になっています。中国の地方政権とはいえ、徒手空拳の身から独立国家を築いて皇帝を称するまでに至ったのですから、その部分の評価はしなければなりません。

 『三国志演義』自体を読んだことはなくても、演義ベースのメディアの影響を受けて、昔から蜀ファンは多いのですが、人気の一つは有名な武将が多いことでしょう。三国志を知っている人で、諸葛亮(孔明)、関羽、張飛などを知らない人はいませんし、演技では彼らが大活躍します。彼らの前では魏や呉の武将は引き立て役にすぎません。
 それにもかかわらず、天下は取れず、滅んでいくところが(特に日本人には)人気になる理由の一つなのかもしれません。

 武田家と三国志の蜀の人気の本質はまったく同じではないと思っていますが、共通するのは、優秀な武将(として描かれている)が数多くいながら、天下が取れなかった、というカタストロフィです。カタルシスを得ることができません。

 武田信玄も劉備も孔明も天下を目指していながら、志半ばにして死んでしまいます。すっきりしません。もどかしささえ感じます。(劉備と孔明が天下を目指していたかどうかはあやしいが、少なくとも公には漢王室の復興を目指したことになっている。なお、孔明の北伐については後述)

 信玄時代の強さ、華やかさが目立つだけに、滅んでいくさまが余計に悲しいのでしょう。源義経などもこのパターンで、戦にはめっぽう強く、彼以外が苦戦した平氏をいとも簡単に滅ぼすのですが、最後は兄の頼朝に嫌われて、奥州平泉まで逃れるも自害してしまいます。「判官びいき」という言葉もありますが、ただ弱いだけではダメで、強いところがなくてはなりません。「あんなに強かったのに」、落ちぶれて滅んでしまう、というのが本質にあります。武田家の場合は、信玄から勝頼と続く二代でこのストーリーを体現しています。最後に滅びるのがわかっているから、なおさら強い時代への思い入れが深くなるのです。



Copyright © 2010 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

コーエーの「戦国無双」でも仮面をつけていたが、隠しているのは業の深さか、虚ろか。

■おまけコラム 孔明の北伐

 諸葛亮(孔明)の北伐には別の側面がある、というかむしろその方が目的としては大きかった。
 関羽の「暴走」によって荊州を失陥した時点で、孔明は天下統一、その前段階の天下三分の計をあきらめたと思うが、政権の正統性を確保すべく、蜀の国内向けに「漢王室復興」のパフォーマンスは必要であった。

 一方で、北伐は超大国である魏に対する先制防御も兼ねていた。
 「攻撃は最大の防御」というが、先制攻撃をおこなうことで、魏に防御態勢を取らせ、魏からの侵攻を防ぐことが目的である。そもそも、魏は蜀(という地域)を相手にしていなかったという事情もあるが。
 孔明が後継者に指名しなかった姜維(人気は高いが)は特にこのあたりの事情を理解しておらず、北伐を繰り返して国力を擦り減らすという最悪の結果を招いている。国力を疲弊させずに戦争を継続した、というのは孔明の能力の非凡さを示すものだろう。
 
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
無題
キョウイって人気高いとは思っていなかった!寧ろ北伐厨とかいわれて不当評価されている感も…w
amasiz 2010/07/08(Thu)01:13 編集
無題
私が三国志現役の頃は、横山光輝『三国志』と光栄の「三國志」の影響で、文武に秀でた美形の将だったんだけどなあw

「孔明の死後、蜀の命運をその双肩に背負った」ってな感じですよ。いまやっている「熱血三国」でもさっさと横付けされて人気です。

「北伐厨」って評価はうまいねw
Rakuna 2010/07/08(Thu)22:33 編集
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
[72]  [71]  [70]  [69]  [68]  [67]  [66]  [65]  [64]  [63]  [62
カレンダー
08 2024/09 10
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
ブログ内検索
最新のコメント
[10/03 Rakuna]
[10/03 セレス]
[09/25 Rakuna]
[09/25 セレス]
[08/22 Rakuna]
[08/22 セレス]
バーコード
アーカイブ
カウンター
Admin / Write
忍者ブログ [PR]