兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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十二月ともなれば、どこかの放送局で『忠臣蔵』をやるのが恒例ですが、この「忠臣蔵」というのは、もとは『仮名手本忠臣蔵』の略で、これは浄瑠璃や歌舞伎の作品名になります。正式な歴史用語ではありません。浅野内匠頭(たくみのかみ、名は長矩。秀吉に仕えた浅野長政の子孫)の刃傷(にんじょう)から赤穂浪士の討ち入り、切腹までの一連の過程は「赤穂事件」と呼びます。討ち入りは発生当時から現代に至るまで壮挙とされていますが、浪士たちが実際にやったことと言えば、犯罪行為に過ぎません。
住居侵入罪、器物損壊罪、殺人罪、傷害致死罪、傷害罪、それから死体損壊に死体遺棄。あくまでも現在の刑法に照らせばですが。
当時の幕府内でもどういう評価を与えるか、意見は二分しました。忠義の鑑(かがみ)と称賛する声もあれば、(忠義のように見えるが)犯罪者という声もありました。最終的には徳川綱吉が裁定したと言われています。
住居侵入罪、器物損壊罪、殺人罪、傷害致死罪、傷害罪、それから死体損壊に死体遺棄。あくまでも現在の刑法に照らせばですが。
当時の幕府内でもどういう評価を与えるか、意見は二分しました。忠義の鑑(かがみ)と称賛する声もあれば、(忠義のように見えるが)犯罪者という声もありました。最終的には徳川綱吉が裁定したと言われています。
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