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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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十二月ともなれば、どこかの放送局で『忠臣蔵』をやるのが恒例ですが、この「忠臣蔵」というのは、もとは『仮名手本忠臣蔵』の略で、これは浄瑠璃や歌舞伎の作品名になります。正式な歴史用語ではありません。浅野内匠頭(たくみのかみ、名は長矩。秀吉に仕えた浅野長政の子孫)の刃傷(にんじょう)から赤穂浪士の討ち入り、切腹までの一連の過程は「赤穂事件」と呼びます。討ち入りは発生当時から現代に至るまで壮挙とされていますが、浪士たちが実際にやったことと言えば、犯罪行為に過ぎません。
 
住居侵入罪、器物損壊罪、殺人罪、傷害致死罪、傷害罪、それから死体損壊に死体遺棄。あくまでも現在の刑法に照らせばですが。
 
当時の幕府内でもどういう評価を与えるか、意見は二分しました。忠義の鑑(かがみ)と称賛する声もあれば、(忠義のように見えるが)犯罪者という声もありました。最終的には徳川綱吉が裁定したと言われています。
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無題
日本人は今も昔もあだ討ち物が好きですからね。
日本最後のあだ討ちといえば明治時代の臼井六郎のあだ討ちですがこちらは赤穂浪士とは違って死罪にはならなかったというw
ムール 2011/12/15(Thu)01:43 編集
無題
日本三大「仇打ち」にされていますけど、赤穂浪士って浅野内匠頭の身内じゃないんですよね(大石個人は遠い親戚ですが、直系の尊属ではない)
主君の遺恨を晴らすといっても、遺恨自体がよくわかりませんし(浅野本人も「知らせなかったので不審がるだろう」と言ったとか)、いまだに謎が多かったり憶測の及ぶ範囲が多かったりと、このあたりも人気の一因かもしれません。
大石自身は優秀な戦略家で実行者という評価です、いちおう(討入自体、幕府の暗黙の了解のもとに行われたという説もあるので)
Rakuna 2011/12/15(Thu)20:25 編集
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