兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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歴史を学ぶということは、いまを、これからをどう生きるかに役立てるということであって、それをしないのは、単なる机上の学問であり、自己満足であり、オカルトに過ぎない。
そういう意味で、火曜日の夜10時からNHK(Eテレ)で放送している「さかのぼり日本史」は興味深く見ています。過去の出来事がいまにどのように影響を与えているか。意外な視点も見えてきます。
とはいえ、実際のところはよくわからないかもしれません。もしかしたら、織田信長のやったことなんて、いまの我々にはまったくなんの影響も与えていない、ということもあるかもしれません(そんなことはない)
比叡山の焼き打ちや本願寺との戦争はのちの政教分離につながるものですが、信長が(いま我々が認識している意味での)「政教分離」を意図してこれらのことをおこなったのか、というのはよく吟味してみなければなりません。当初の意図と結果が違う場合もあるでしょうからね。
そういう視点で物事の始まり(本当にどこから始まっているのかはまた別として)から見ていくというのは面白いんですよね。
「独裁、危ない」と言っている人の方が正しいかもしれないですし(往々にして正しいか正しくないかは主観的なものですが)。独裁者は民衆の歓喜の中から生まれるものですからね。
そういう意味で、火曜日の夜10時からNHK(Eテレ)で放送している「さかのぼり日本史」は興味深く見ています。過去の出来事がいまにどのように影響を与えているか。意外な視点も見えてきます。
とはいえ、実際のところはよくわからないかもしれません。もしかしたら、織田信長のやったことなんて、いまの我々にはまったくなんの影響も与えていない、ということもあるかもしれません(そんなことはない)
比叡山の焼き打ちや本願寺との戦争はのちの政教分離につながるものですが、信長が(いま我々が認識している意味での)「政教分離」を意図してこれらのことをおこなったのか、というのはよく吟味してみなければなりません。当初の意図と結果が違う場合もあるでしょうからね。
そういう視点で物事の始まり(本当にどこから始まっているのかはまた別として)から見ていくというのは面白いんですよね。
「独裁、危ない」と言っている人の方が正しいかもしれないですし(往々にして正しいか正しくないかは主観的なものですが)。独裁者は民衆の歓喜の中から生まれるものですからね。
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