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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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スポーツのカテゴリーの半分が野球(中日ドラゴンズ)で、

残りがサッカーと、競走馬の墓碑銘になりつつありますね。


今回はニュースの引用なしですが、

夕方に株価を見ようと思って接したのが、「皇帝死亡」の報。

思わずツイッターで「おお、ルドルフ死んだ・・・」とつぶやくのが精一杯でした。


シンボリルドルフ。


(「ル」の音が実況泣かせだったことはあまり知られていない・・・

早口だと、「シンボリドルフ」になっちゃうんだよね)


日本競馬史上の最強馬に挙げられることも多い馬ですが、

今日のニュースの見出しは「無敗三冠馬」。

ああ、この馬も死んでしまえばこんなに簡単な言葉になってしまうのかと。

これではこの馬の強さは言い表せません。

と言いながら、天皇賞(秋)でギャロップダイナに負けたり、

海外では活躍できなかったり(あの頃は遠かった)、

最強というか、完璧というイメージとはちょっと違うかなあとも思います。


ニュースを見ながら、このころの写真は白黒だったのだなと思いつつ、

記憶は物心の付いたころ、初めて競馬中継を見たころにさかのぼります。

あの年(1983年)は、ミスターシービーが三冠を成し遂げた年で、

「何と強い馬がいるのだろう」と、子供ながらにファンになりましたが、

翌年、シンボリルドルフが三冠を達成して、

「三冠はそんなに簡単に取れるものなのか」と、

三冠の価値を一瞬疑ったのも事実です。

以降、シービーとルドルフは三冠馬対決をすることになりますが、

シービーはルドルフには一度も勝てませんでした。

判官贔屓的な要素もあって、シービーが好きだったんですよね。


ルドルフに話を戻すと、ルドルフと言えば、岡部幸雄(すべてのレースに騎乗した)で、

岡部と言えばルドルフ、というくらいお互いにとって代表する存在でしたが、

・・・えーと、岡部さんはもう騎手を引退していますが、

いまも競馬中継にはたまにゲストとして出演されています。

武豊の前にすごかった騎手です。


いまでは日本馬が世界最高峰の凱旋門賞に参加し、

ドバイWCで日本馬が勝つ時代になりましたが、

30年前は海外遠征なんてものは非常に困難でした(環境が整っていない)

そこで先駆的な役割を果たしのが岡部幸雄であり、

その例の一つがルドルフなんですよね。

レースの成績や産駒(トウカイテイオーが二冠馬として有名)だけでなく、

そういった、いまにつながる部分にもあらためて注目してほしいですね。


http://www.jra.go.jp/50th/html/50horse/35.html

皐月賞ではいきなり実況が噛んでますw

ライバルだったビゼンニシキとの対決にも注目。

ダービーでも噛みまくりじゃないかwww
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