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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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「戦国人物紹介」

悪人を主人公にした小説というものがあって、それをピカレスク(悪漢小説)というのだが、悪人は悪人で人気がある。久秀の場合は妙な愛嬌もあって複雑な人物なのだが、そこも人気となる理由の一つだろう。単なる「悪人」ではない。

030 松永久秀 【まつながひさひで】 1510?-77 (後編)

文化人としての側面
最近では伊丹城の方が早いという説が出ているが、天守閣を創った嚆矢(さきがけ)とされる。安土城の場合は天主と呼ばれるが、このあたりも信長と久秀の近さを感じさせる。千利休と同じく茶の湯を武野紹鴎に学び、名物の茶器を集めて茶会を開いていたという。

唯物論者
真の存在は心ではなく単なる物質とするのが唯物(論)で、宇宙の諸現象の本質は主体を離れた客体的な物質であって、人間の精神も物質としての頭脳の一つの機能に過ぎないという説(『新明解国語辞典』)である。信貴山城陥落の直前、九月二十九日に彗星が現れた。久秀の家臣たちは、これはいままで久秀が神仏を顧みなかったことに対する天罰だと言って恐れたが、久秀は「彗星は天の運行に従って現れるだけで、自分や信長だって天から見れば塵芥同然、相手にもされぬわ」と平然としていたという。信長は最後に自己神格化をやってしまうが、久秀のこの考え方も当時としては極めて異質な、唯物論的考え方である。

幽霊は怖い?
果心居士(かしんこじ)というと、戦国時代の幻術師で、『三国志』でいうところの左慈(さじ)のような存在である。池に笹の葉を撒くと、魚になって泳ぎだしたとかその類である。大和の久秀とは親交があったようで、久秀に招かれると、「戦場で幾度となく修羅場を乗り越えてきたが、恐怖というものを味わったことがない。そなたの術でわしに恐ろしい思いをさせてみよ」と言われた。そこで、果心居士は人払いをさせると、部屋の灯りを消し、久秀の亡妻の幽霊を出現させたという。さすがにこれには久秀も「もうやめよ」と制したという。久秀の亡妻と言えば、三好長慶の娘だろうから、三好一族を抹殺した久秀には居心地が悪かっただろう。まあ、この話(『玉掃木』『醍醐随筆』)は果心居士の幻術の方が強調されていて、久秀は引き合いとして登場しただけに過ぎないのではないか。当時、もっとも神仏や幽霊の類を信じなさそうな人種である。



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自爆スキルかと思いきや、防御用か。

養生を心掛けていた久秀
主家である三好長慶の弟、安宅冬康が鈴虫を兄に送ったことは書いたが、久秀も鈴虫を育てていた。普通、鈴虫は七月頃に成虫となり、十月までには大半が死亡するが、飼育するとそれ以上長生きすることもある。久秀も鈴虫の飼育に凝っており、「鈴虫でさえうまく育てれば長生きする、人間も養生すれば百二十五歳まで生きられる」と言っていたという。もちろん、人間の養生にも気を使っており、セックスの詳細なハウツー本まで書いているほどである。

死ぬときも養生
久秀は中風(脳出血後に起こる体のまひ)の予防のために毎日時間を決めて頭の上に灸をすえていた。切腹する直前でも家臣に灸の用意をさせ、家臣から「これから切腹するのに灸でもないでしょう」と言われたが、「いざ切腹するのに中風のせいで失敗したら臆病だと思われる。いままでの武名に傷がつくではないか」と、いつも通りに灸をすえさせてから腹を切ったという。
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