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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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三国志、魏の曹操は中原を手にしても漢を滅ぼさず、殷の紂王に最後まで臣として仕えた周の文王に倣ったという。殷を滅ぼしたのは文王の子武王であり、漢を滅ぼしたのは曹操の子曹丕であるが、曹操の諡(おくりな、死後に事績を顕彰してつけられる名前)は武(武帝)、曹丕の諡は文(文帝)である。周に倣ったのならば逆でもいいはずだが、曹操と言えば「武」の印象が強いのだろうか。

衰退していた漢を滅ぼさなかった点で、董卓は完全な破壊者にはなれず、曹操も含めて次の王朝を創ることに苦労することになる。歴史的に見ると、董卓にはそういう批判もある。日本では、三好一族は足利将軍の擁立にこだわった。幕府体制を破壊するには信長の登場を待たねばならない。
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