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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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『復興の精神』読了。終日気が重たくなりました。

最後の方はいくつか首をかしげながら読みました。阿川弘之が小泉純一郎に好意的なのは意外でした。あれこそファッショでしょ。

戦前、戦中のように、震災を端として一つの方向に向かうのは危ないと思っているのですが、いまのところそのような流れはなさそうです。わかりませんけどね。

「脱原発」も全体の同意を得ているわけではありませんし、せいぜい、節電、省エネ、エコくらいがみんな賛成といったところですが、これはどちらかというと自発的と言ってもいいかもしれません。政府や企業に踊らされているだけかもしれませんけどね。

九人の方が執筆されていますが、うち二人が鈴木貫太郎について書いていたのが興味深いですね。終戦工作をした(そしてそれに成功した)首相で、日本を滅亡の淵から救った人ですが、あまり知られていないかもしれません。

戦国時代であれば、負けた側は落城、城主は切腹しておしまい、というところでしょうが、現代ではそうはいきません。負けるにも「負け方」というものがあります。

覚悟のほどはともかく、「死ぬまで戦う」という人々もいますから、その人々の反対(最悪は殺されることすらある)を制して「降伏」まで持っていかなくてはなりません。

鈴木貫太郎という人は海軍の出身で、日露戦争では駆逐艦に乗ってロシアの戦艦や巡洋艦を沈め、のち海軍大将、連合艦隊司令長官、海軍軍令部長(陸軍でいうところの参謀総長)を務めます。1929年、昭和天皇の侍従長となりますが、二・二六事件(1936年)で瀕死の重傷を負います。妻の機転もあって一命を取り留めた鈴木はその後枢密院議長となりますが、1945年四月、天皇の懇請を受けて組閣し、終戦工作に当たることになります。
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無題
読み終わったんだぁ
貸してね
きょん 2011/07/05(Tue)22:30 編集
無題
あいあーい。今度持って行きます。

でも地震を退治する男の子の話はなかったよ?(笑)
Rakuna 2011/07/06(Wed)22:17 編集
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