兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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もちろん、不正行為は許されませんが、今回、この予備校生には多分に同情的です。
私自身、一年間の浪人生活を経験しましたし、その時の不安(恐怖に近い)と言えば相当のものでした。
興味深いのは、京大に抗議が殺到していることです。
「騒いで逮捕させた」「試験監督こそ問題」といった趣旨だそうですが。
当初の複数犯(組織的)、愉快犯的印象もあって、京大も断固たる姿勢で臨んだのかもしれませんが、
「特定」してみれば、一人の予備校生の行為だった(行為に過ぎなかった)ということになるようです。
この対比と言いましょうか。
大学というと、多分に権威的、権威主義的、権力的な部分があります。
「東大」「京大」出身です、なんて言われると、「すごいですね」と思う一方で、
(たとえそんな素振りがなくても)鼻に掛けやがって、
となんとなく釈然としない思いも抱くものです。
試験の点数と頭の良さと人格はまた別のものですけどね。
それらだけが評価のすべてではありませんし、評価自体いいのか悪いのかということもあります。
話が逸れました。
京大に対して抗議が殺到するというのは興味深いという話でした。
「忠臣蔵」(歴史的には赤穂事件と言う)に似たようなことがあって、
浅野に斬られたのは吉良であって、吉良が浅野を斬ったのではないんですね。
吉良は純然たる被害者なわけです。
それでも民衆は浅野には遺恨があったのだろう(吉良が何か悪いことをした)と考えて、
吉良の首を取った浪士たちは、主君の意思を遂げた者たちとして喝采を浴びたのです。
今回の事件も、京大が絶対に正しくて、単なる被害者に過ぎない、
と考える人は少ないのではないでしょうか。
本来果たすべき試験監督の義務を果たさずに(それは怠慢だ)、一方的に不正行為を糾弾する、
しかも、ふたを開けたら、それが一人の予備校生だった、
というところに、京大への非難と予備校生への同情が向く余地があります。
だからといって、不正行為の一つや二つ見逃して合格させてやれよ、とはならないわけで。
そこははっきりしています。
もちろん、不正行為をしなかった人々との「公平性」が保たれないからですが。
最初に書いたように、浪人経験者としては、多分にこの予備校生、
とその身の上(高三の時に父親を亡くしている)には同情的なのですが。
一度失敗していると、次も同じ失敗を繰り返すのでないかと思ってしまうんですよね。
だからといって、不正はせずに、一年間勉強したおかげで、大学に合格して、いまがあるわけですが。
善悪の判断がつきそうなものを、ここまで追い込んだものはなんだったのかな、
と思うと、割り切れないものが残ります。
私自身、一年間の浪人生活を経験しましたし、その時の不安(恐怖に近い)と言えば相当のものでした。
興味深いのは、京大に抗議が殺到していることです。
「騒いで逮捕させた」「試験監督こそ問題」といった趣旨だそうですが。
当初の複数犯(組織的)、愉快犯的印象もあって、京大も断固たる姿勢で臨んだのかもしれませんが、
「特定」してみれば、一人の予備校生の行為だった(行為に過ぎなかった)ということになるようです。
この対比と言いましょうか。
大学というと、多分に権威的、権威主義的、権力的な部分があります。
「東大」「京大」出身です、なんて言われると、「すごいですね」と思う一方で、
(たとえそんな素振りがなくても)鼻に掛けやがって、
となんとなく釈然としない思いも抱くものです。
試験の点数と頭の良さと人格はまた別のものですけどね。
それらだけが評価のすべてではありませんし、評価自体いいのか悪いのかということもあります。
話が逸れました。
京大に対して抗議が殺到するというのは興味深いという話でした。
「忠臣蔵」(歴史的には赤穂事件と言う)に似たようなことがあって、
浅野に斬られたのは吉良であって、吉良が浅野を斬ったのではないんですね。
吉良は純然たる被害者なわけです。
それでも民衆は浅野には遺恨があったのだろう(吉良が何か悪いことをした)と考えて、
吉良の首を取った浪士たちは、主君の意思を遂げた者たちとして喝采を浴びたのです。
今回の事件も、京大が絶対に正しくて、単なる被害者に過ぎない、
と考える人は少ないのではないでしょうか。
本来果たすべき試験監督の義務を果たさずに(それは怠慢だ)、一方的に不正行為を糾弾する、
しかも、ふたを開けたら、それが一人の予備校生だった、
というところに、京大への非難と予備校生への同情が向く余地があります。
だからといって、不正行為の一つや二つ見逃して合格させてやれよ、とはならないわけで。
そこははっきりしています。
もちろん、不正行為をしなかった人々との「公平性」が保たれないからですが。
最初に書いたように、浪人経験者としては、多分にこの予備校生、
とその身の上(高三の時に父親を亡くしている)には同情的なのですが。
一度失敗していると、次も同じ失敗を繰り返すのでないかと思ってしまうんですよね。
だからといって、不正はせずに、一年間勉強したおかげで、大学に合格して、いまがあるわけですが。
善悪の判断がつきそうなものを、ここまで追い込んだものはなんだったのかな、
と思うと、割り切れないものが残ります。
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