兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
昨日のNHK「歴史秘話ヒストリア」は「悪左府」こと藤原頼長でしたが、
いまの人にはどう見えるんでしょうかね。
男色というと、一部の人々には受けそうですが・・・。
摂関政治の全盛だった道長の子頼通からすると、孫の孫に当たります。
「左府」は左大臣の意味ですが、「悪」は悪人だったというわけではありません。
源義平(頼朝、義経らの長兄)は「悪源太」と呼ばれましたが、
これも悪い人というよりは、「とても強い」という意味で使われました。
(藤原頼長の例を見ても、否定的なニュアンスがまったくないわけではない)
頼長は保元の乱で敗死しますが、そういう人の日記が残っているというのが興味深いですね。
いまの人にはどう見えるんでしょうかね。
男色というと、一部の人々には受けそうですが・・・。
摂関政治の全盛だった道長の子頼通からすると、孫の孫に当たります。
「左府」は左大臣の意味ですが、「悪」は悪人だったというわけではありません。
源義平(頼朝、義経らの長兄)は「悪源太」と呼ばれましたが、
これも悪い人というよりは、「とても強い」という意味で使われました。
(藤原頼長の例を見ても、否定的なニュアンスがまったくないわけではない)
頼長は保元の乱で敗死しますが、そういう人の日記が残っているというのが興味深いですね。
PR
この記事にコメントする