兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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ある作品で売れてしまうと、その作品での役がイメージとしてついてしまって、以後苦労する、というのはよくある話。
さて、江に限らず、女性は男性に比べて記録が極端に少なく、「隙間」が多いと言える。それゆえに作家や脚本家の想像の入り込む余地が大きいのだが、最近は受け手(読者、視聴者)の方も目が肥えてきており、納得のいかない場面があれば不満が出てくるし、ましてやネット時代であれば、批判も簡単に共有できるのである。
前回はお市の方の袋の豆(鼠)の逸話も変な使われ方をしたし、浅井万福丸が串刺しにされる場面もなかったし(中略)、子役の熱演もあって、なんだか悲しい話だなあ、という印象しかなかった。
江も「お江の方回想録」なんてものは残していないので(実は生年すらはっきり記録されていない)、伯父でもあり父の仇でもあった信長のことをどう思っていたのかはまったくわからない。おそらく物心つく前に、おじさんは本能寺で爆死してしまっていたのではないだろうか。
この脚本家は、江はおじさんのことをリスペクトして、性格も似たことにしたいようだが。判断材料がないので、受け入れようがない。
さて、江に限らず、女性は男性に比べて記録が極端に少なく、「隙間」が多いと言える。それゆえに作家や脚本家の想像の入り込む余地が大きいのだが、最近は受け手(読者、視聴者)の方も目が肥えてきており、納得のいかない場面があれば不満が出てくるし、ましてやネット時代であれば、批判も簡単に共有できるのである。
前回はお市の方の袋の豆(鼠)の逸話も変な使われ方をしたし、浅井万福丸が串刺しにされる場面もなかったし(中略)、子役の熱演もあって、なんだか悲しい話だなあ、という印象しかなかった。
江も「お江の方回想録」なんてものは残していないので(実は生年すらはっきり記録されていない)、伯父でもあり父の仇でもあった信長のことをどう思っていたのかはまったくわからない。おそらく物心つく前に、おじさんは本能寺で爆死してしまっていたのではないだろうか。
この脚本家は、江はおじさんのことをリスペクトして、性格も似たことにしたいようだが。判断材料がないので、受け入れようがない。
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