兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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(昨日の続き)
直接的な「物」が足りないのは言うまでもないのだが、
それ以前に何か欠如しているような気がしてならないのだ。
例えば公的な支援の仕組みだとか。
個人の善意に頼らねばならなくなっているような状況が嘆かわしい。
(大河ドラマのおかわり)
「希望」とはhopeの訳語ではないかと思っていて、
大河ドラマの「江」でも「龍馬伝」でも台詞の中で「希望、希望」と言うのに
違和感を覚えていたのですが、そのへんどうなんでしょう。
「きぼう」には「冀望」という書き方もあるので、昔から言葉自体は存在していたのでしょうが、
当時、「こいねがう」以外に「希望を与えるもの、人」という意味まであったのでしょうか。
あとは、江も含めて、登場人物の多くが馬に乗れるような気がしたのですが、合成?
お市の方は乗れてなかったよねw
役者も乗馬スキルがついていないと、歴史ドラマ不可、になっていくのでしょうか。
大地康雄(柴田勝家)の一色右馬介(「太平記」)の話までしだすと長くなるので措く。
直接的な「物」が足りないのは言うまでもないのだが、
それ以前に何か欠如しているような気がしてならないのだ。
例えば公的な支援の仕組みだとか。
個人の善意に頼らねばならなくなっているような状況が嘆かわしい。
(大河ドラマのおかわり)
「希望」とはhopeの訳語ではないかと思っていて、
大河ドラマの「江」でも「龍馬伝」でも台詞の中で「希望、希望」と言うのに
違和感を覚えていたのですが、そのへんどうなんでしょう。
「きぼう」には「冀望」という書き方もあるので、昔から言葉自体は存在していたのでしょうが、
当時、「こいねがう」以外に「希望を与えるもの、人」という意味まであったのでしょうか。
あとは、江も含めて、登場人物の多くが馬に乗れるような気がしたのですが、合成?
お市の方は乗れてなかったよねw
役者も乗馬スキルがついていないと、歴史ドラマ不可、になっていくのでしょうか。
大地康雄(柴田勝家)の一色右馬介(「太平記」)の話までしだすと長くなるので措く。
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おかわりまでしてモトヤチョップには触れないのwww?
善意が報われることが多くない世の中であるからこそ共鳴するのだとは思うんだけど、
年明けくらいからマスコミが焚きつけた胡散臭さを感じるのは気のせいでしょうか?
Hopeに似た意味は古代ローマやエジプトにはあったはずだから、日本にもそれっぽいのはあるんじゃないかな? 仏教用語を使えば、意外と語彙は増えるらしいし。。まぁ、市井の人が使ってるかはわからんけどねw
主役級は乗馬の練習はみんなやるみたいだよ。阿部ちゃんがサラブレッドでないゴツイ馬に乗って、大草原で優雅に走ってたのを思い出しましたw
年明けくらいからマスコミが焚きつけた胡散臭さを感じるのは気のせいでしょうか?
Hopeに似た意味は古代ローマやエジプトにはあったはずだから、日本にもそれっぽいのはあるんじゃないかな? 仏教用語を使えば、意外と語彙は増えるらしいし。。まぁ、市井の人が使ってるかはわからんけどねw
主役級は乗馬の練習はみんなやるみたいだよ。阿部ちゃんがサラブレッドでないゴツイ馬に乗って、大草原で優雅に走ってたのを思い出しましたw
もうおなかいっぱい
上洛、と思っていたらあっという間に京を追放されていましたからねえ。にしても、なんであの人は典型的な公家風イメージなのか。
日本にもあったとしても、浅井長政が「希望」と連呼するのは違和感あるなあ、時代的にというか用語の使い方的に。私だけでしょうか。
乗馬は昔は一部の人だけの特定スキルと思っていたのですが、そうなると、逆に練習しない人は何なのかねえw
日本にもあったとしても、浅井長政が「希望」と連呼するのは違和感あるなあ、時代的にというか用語の使い方的に。私だけでしょうか。
乗馬は昔は一部の人だけの特定スキルと思っていたのですが、そうなると、逆に練習しない人は何なのかねえw
無題
中世でも近代でも馬さえあれば活躍できます(逆だってw)
戦国時代の騎馬隊(存在自体がかなりあやしい)なんてものは泰平の世の中で消えてしまっていて、近代日本陸軍の騎兵隊って0から、それこそ秋山好古が作らなきゃならなかったんだよね。
ドラマでもあったけど、騎兵というのはある種のステータスで(誰でもなれるわけではない)、そういう価値観は日露の騎兵が共有していました。第一次世界大戦の飛行機乗りくらいまではそういう雰囲気があります(乗れる人が少ないので、敵味方と言っても顔見知りで、挨拶してからピストルを撃ち合っていた時代もある)
こういった戦場の「のどかさ」とでもいうようなものは日露戦争から第一次世界大戦にかけての総力戦の中で消えていきます。
戦国時代の騎馬隊(存在自体がかなりあやしい)なんてものは泰平の世の中で消えてしまっていて、近代日本陸軍の騎兵隊って0から、それこそ秋山好古が作らなきゃならなかったんだよね。
ドラマでもあったけど、騎兵というのはある種のステータスで(誰でもなれるわけではない)、そういう価値観は日露の騎兵が共有していました。第一次世界大戦の飛行機乗りくらいまではそういう雰囲気があります(乗れる人が少ないので、敵味方と言っても顔見知りで、挨拶してからピストルを撃ち合っていた時代もある)
こういった戦場の「のどかさ」とでもいうようなものは日露戦争から第一次世界大戦にかけての総力戦の中で消えていきます。