兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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「坂の上の雲」は文庫版を読んでから五年以上たっているので、ほどよく忘れており、NHKのドラマを見ても「こんな話だったっけか?」と違和感を覚えることしきりである。
つい先週まで「龍馬伝」をやっていて、その龍馬が殺されたのが1867年。今週の「坂の上の雲」は1900年から始まったが、この間、わずか三十年ほどしかない。それなのにこの変わりようである。刀を持った侍が国内で殺し合いをしていたのに、三十年(と言ったら、わずか一世代しかない)後には鉄の船に乗って砲撃戦をしているのだから、この時期の日本の目覚ましい成長には驚きを禁じ得ない。
この時代、明治の後半の日本が一番良かったのではないか、と肯定的な見方をする人は多いのだが、これはいまの世の中に対する失望だとか、自信喪失といったものの裏返しであって、いいところだけを見るとよく思えるのである。
それにしても、いまの与党や外務省の外交音痴ぶりを見ると、外交、交渉といったものには特殊な才能が必要なのではないかと思われる。そうすると、明治の日本には青木周蔵、陸奥宗光、小村寿太郎、という外交の系譜があるのだが、その中でも特に日英同盟の締結や関税自主権の回復などに功績を挙げた小村寿太郎という人はすぐれた外交能力を持った人物だったのだなと思わずにはいられない。
もっと知られてもいい人物なのだが、この人に限らず、幕末から明治にかけて国の独立を保った人物、歴史について国民はあまりに知らなさすぎるし、関心がなさすぎる。
つい先週まで「龍馬伝」をやっていて、その龍馬が殺されたのが1867年。今週の「坂の上の雲」は1900年から始まったが、この間、わずか三十年ほどしかない。それなのにこの変わりようである。刀を持った侍が国内で殺し合いをしていたのに、三十年(と言ったら、わずか一世代しかない)後には鉄の船に乗って砲撃戦をしているのだから、この時期の日本の目覚ましい成長には驚きを禁じ得ない。
この時代、明治の後半の日本が一番良かったのではないか、と肯定的な見方をする人は多いのだが、これはいまの世の中に対する失望だとか、自信喪失といったものの裏返しであって、いいところだけを見るとよく思えるのである。
それにしても、いまの与党や外務省の外交音痴ぶりを見ると、外交、交渉といったものには特殊な才能が必要なのではないかと思われる。そうすると、明治の日本には青木周蔵、陸奥宗光、小村寿太郎、という外交の系譜があるのだが、その中でも特に日英同盟の締結や関税自主権の回復などに功績を挙げた小村寿太郎という人はすぐれた外交能力を持った人物だったのだなと思わずにはいられない。
もっと知られてもいい人物なのだが、この人に限らず、幕末から明治にかけて国の独立を保った人物、歴史について国民はあまりに知らなさすぎるし、関心がなさすぎる。
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