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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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 おかげさまでコンスタントに更新できています。「戦国人物紹介」がメインになるはずですが、まだ4人(9回)しかやらずに済んでいます。コラム(補足説明)が多いせいですね。書き溜めているので、週末にでも出していきたいと思います。

 「江戸時代 戸籍」で検索が入ったので少し解説します。

 「江戸時代に戸籍はない」と言ってしまうと若干語弊があります。
 そもそも、なぜ「戸籍」を作るのかというと、徴税(税金を負わせる)や徴兵(兵士として集める)のためです。
 逆にいうと、徴税や徴兵ができない行政組織は戸籍を作らない、というか作るだけの支配力がないので「作れない」んですね。
 ただ、徳川幕府の場合は別の事情があって、この行政組織は全国の大名を支配していましたが、全国の領民から税を取り立てることはありませんでした。例えば、土佐でお米を売ったり買ったりしても「幕府に」消費税や所得税を納めるということはありません。
 秀吉の場合は全国で「太閤検地」をおこなって、石高を把握し、朝鮮出兵の際に各大名がどれだけ兵士を負担するかの目安としました(江戸時代も大名ごとに検地がおこなわれ、「検地帳」が作成されている)

 徳川幕府が全国の領民から税を取らなかった理由についてははっきりしていません。幕府ができたころは各地の金山・銀山からの収入もあり、財政的にも豊かなため徴税の必要がなかったのではないか、ということも言われています。

 では、江戸時代に幕府が全国の領民を把握していなかったかというと、そんなことはありません。江戸時代には「寺請制度」というものがあり(キリシタンでないことを寺院が証明する)、各地に檀家制度ができました。また「宗門改帳(宗旨人別帳)」があり、宗派と檀家のお寺を記載する仕組みがありました。これが戸籍の代わりを果たすんですね。
 
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