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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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 いまの口蹄疫問題の赤松農相もそうだし、阪神・神戸大震災のときの村山首相もそうだが、社民党(旧社会党)の人たちには危機管理能力が欠如している。現実認識ができず、対応が後手に回るから被害が拡大するのである。ここまでいくと、もはや「人災」と言っていい。

 戦後、日本の平和が維持されてきたのは、日米安保と自衛隊のおかげだが、この党の人たちは「平和憲法」があるおかげで平和だったと本気で思っている人たちである。

 水戸の話ついでにやってみようかwww(すまん)

「ミトなはなしbyぼっこ先生」これからのあらすじ(勝手な妄想)

 佐幕派(徳川幕府支持派)にとって、水戸というのは「獅子身中の虫」以外の何物でもないんだよね。

 家康は石橋を叩いても渡らないくらいの慎重な人で、徳川家を残すにあたっても、将軍家以外に「御三家」というものを創りました。ただし、尾張は紀伊は将軍家(宗家)の血が絶えたときのスペアとして創設されたのですが、水戸だけは違ったようです(水戸出身である最後の将軍慶喜については後述)
 また、将来、幕府と朝廷が対立するようなことがあった場合に、どこかの家が朝廷に味方すれば「徳川」の家名は残せるとの判断もありました。
 実際、維新時にあって尾張はさっさと朝廷に味方しています。
 水戸も光圀(水戸黄門)が、近衛信尋(実はこの人は御陽成天皇の子で五摂家の一つである近衛家の養子となった人物)の娘を正室に迎えていることから、「万が一」のときには朝廷側につくことを期待されていたと考えられます。

 さて、徳川幕府は七代将軍家継が死去すると、家康以来の宗家の血が絶えることになりました。このときに御三家から出て、八代将軍となったのが、暴れん坊でも、西田敏行でもなく、紀州出身の吉宗でした。この前後、ライバルとなった尾張とは将軍後継をめぐって相当にもめたらしく、(紀州内でも?)暗殺まで行われたのではないかという印象すら受けます。吉宗が将軍となってからも、尾張は何かと吉宗に盾を突いて、最終的には処分を受けています。
 この吉宗が家康にならったのか、あえて家康の意向を無視したのか、創ったのが「御三卿」です(三家がそろったのは吉宗の死後)。吉宗の子孫だけを将軍にしようという仕組みであり、この時点で、徳川将軍家は紀州の血統に乗っ取られたといえます。

 しかし、現実は吉宗の思惑通りには行きませんでした。吉宗以降の将軍家も、御三卿もスムーズに家督継承が行なわれなかったからです。御三卿の一つ、清水家などは最初から最後まで養子ばかりです。そんな中、御三卿の一橋家に養子に入ったのが水戸出身の慶喜です(他の徳川家から御三卿に養子入りするのは可能だった)。そして、幕府と朝廷が対立した幕末に「朝廷に味方すべき」水戸出身の慶喜が将軍になってしまったのです。そんな慶喜が戊辰戦争で取った行動は「ひたすら朝廷に恭順」でした。こんな人をトップにおいて幕府は戦えるわけがありません。まあ、これは慶喜や水戸に対する一つの見方であって、徳川慶喜という人物はもっと複雑な人物です。

 光圀の話に戻りますが、彼が朱子学にかぶれて始めたのが「水戸学」です。光圀が始めた『大日本史』の編纂を中心に水戸学が興るのですが、この『大日本史』が完成したのは、明治も終わりに近づいた1906年です。幕府が滅んでも編纂作業を続けていたってことですね。光圀は藩の財政すら傾けて編纂に当たったと言いますから、水戸藩の領民はいい迷惑でした。
 この「水戸学」、幕府の御三家である水戸家の編纂なのに(水戸家の編纂だからというべきか)、うたっているのは尊王論(君主は将軍ではなく天皇)なんですね。これがのちに幕末の尊王攘夷論や尊王倒幕論につながっていくのですから、幕府にとって水戸は獅子身中の虫と言わなければならないのです。

 幕府と朝廷が対立した場合は朝廷に味方せよ、というのはいいとしても、水戸学を始めて幕府と朝廷が対立する原因を作ってしまうとは、光圀の祖父である家康も想像しなかったでしょう。ちなみに、幕末の水戸藩は天狗党事件で内ゲバ(内乱)状態で、幕府の役にも朝廷の役にも立ちませんでした。

 綱吉が「生類憐みの令」を出しても肉食していたとか、日本で初めてラーメンを作ったとか、納豆の話(?)とかはぼっこ先生にまかせた!w
 
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納豆嫌いな私が納豆の話とかするわけないじゃんwww
どの支配者の家系でも
4,5代たっちゃうとヤバいのが
出てきて転落してっちゃうんだけど、
徳川家はそのピンチをうまく生かして、
優秀な血統者選らんでいった感じだねぇ。

その点、旧社会党は、、、
A松はおやじの代から駄目キャラです。
申し訳ございませんでしたw
ぼっこ 2010/05/19(Wed)22:05 編集
じゃあ
納豆以外はまかせたw

自民党も昔は党内で派閥が交代することで疑似政権交代してきたわけですが、派閥も政治家も能力が低下して、社民党なんぞに取って代わられるわけです、嘆かわしいことにw
Rakuna 2010/05/19(Wed)22:29 編集
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