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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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武田家のときに川中島の戦いについて触れましたが、あれは通説と言っても、『甲陽軍鑑』や軍記物に沿ったほぼ「架空」の話で、おそらく真実とは遠い姿になっています。

きつつき戦法も、炊事の煙で出陣を見抜いたという話も軍記物的な脚色ですし、そもそも兵力分散の愚を冒してまで(しかも本体よりも多い別働隊で)夜討ちをかけるというのも不審です。

と思って、調べを始めたのですが、資料がないのが現実なんですよね。

信玄と謙信の一騎打ち、などという場面もないので、なんて無味乾燥な、と思われるかもしれませんが、戦争とはそういうものです。

桶狭間の戦いは、従来「迂回奇襲説」が唱えられてきましたが、現在でこの説を支持する人はほとんどいません。『信長公記』を素直に読めば、「正面攻撃説」(小高い山に布陣する義元からも織田軍が攻撃する姿は見えていた)しかありえないのですが、「正面奇襲説」という「奇襲」にこだわる人は、いまなお少なくありません。

信玄と謙信、両雄の戦いは権謀術数をめぐらした決戦であってほしい、兵力に劣る織田軍は奇襲で義元を破ったのだ、戦争にまつわるそういう願望こそが、戦争の真の姿を見えにくくしているのかもしれません。
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