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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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そろそろ暖房のスイッチを入れるか考える時期か・・・。

武田信玄のときにも訊きましたが、上杉謙信でも訊いてみましょう。何をやった人だっけ?w

軍神、聖将、越後の龍などと呼ばれ、戦にはめっぽう強かったものの、領土拡大のための軍は起こさなかったという・・・上野や越中、能登などに上杉領は広がっていったのはいいのね?

不犯(ふぼん)・・・僧なら異性と交わらないのは当然(特に真言宗は戒律が厳しい)。女性説は行きすぎですが。え、酒を飲むのは戒律違反では?

川中島の戦いでは武田軍のきつつき戦法を見破り、車懸りの陣で散々に打ち破る。白い頭巾で馬上から信玄に斬りかかる姿が有名ですが、あれは影武者という話も。

酒飲み。アル中。トイレで脳卒中を起こし、口もきけないまま死んでしまう。享年四十九歳は信長と同じ。後継者を定めていなかったために上杉家は内戦状態に。

関東管領。鎌倉の鶴岡八幡宮で就任式。二回も上洛するなど、意外と広い行動範囲。

「敵に塩を送る」の美談。どこまでホント? というところだが、後世にももっとも謙信の人となりを表す逸話として残っている。


上杉家の人気が高い。それもここ数年のことである。特に女性の人気が高いのではないだろうか。マンガやゲームの影響? 昔から「武田、上杉」の順番だったが、いまや、逆転といった感もある。

長らく上杉家は武田家の風下に置かれてきた。

小説で言えば、信玄は新田次郎の『武田信玄』が有名で、謙信は海音寺潮五郎の『天と地と』があるが、これは川中島の戦いまでしか書かれていない。

NHKの大河ドラマでも、信玄は『武田信玄』(1988年)があり、『風林火山』(2007年)にも準主役で登場しているが、謙信は『天地人』(2009年)で最初の方に登場しただけで、謙信自身の一代記はない。

信長のように派手な最期(爆死)ではないし、秀吉や家康のように天下を統一して終わるということもない。小説やドラマのような物語では描きづらいのかもしれない。

武田家臣は徳川家に仕えた者も多いため、幕府の記録に事績が残っていることも多いのだが、上杉家は独立大名であり、資料的な制約がある(公開されていない文書類もあるだろう)。生没年がはっきりしない人も多いし、子孫がその後どうなったかわからないことも多い。
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無題
信玄の場合は
1.武田家自体が甲府の土地に根付いていた。
2.公共事業を「ある程度」行っていた。
3.家康のヨイショがあった。

謙信の場合は、
1.基本ヨソモノ。主君殺してるしw
2.飢饉の口減らしに戦争
3.越後は捨てちゃった上に、嫡流は基本残っていない。

ってな感じで、後世に好かれる嫌われる要素もあったんじゃないかな?
ぼっこ 2010/09/24(Fri)19:50 編集
無題
信玄は3が大きいでしょうね。
徳川家が本能寺の変の前後にいろいろあって武田遺臣を召し抱えるようになったので、(勝頼は悪く言っても)信玄は神のようにたたえることになりました。
あの家康公が負けるんだから信玄公は強かった、ということにしておかないといけません(真田も同様)

謙信は上杉家は大名として続きましたが、関ヶ原の敵役。会津120万石の大名だったのに、負けて米沢30万石、さらに半分の15万石だったので、影響力は小さかったのでしょう。

旗本とはいえ幕臣と外様大名ですからね。

あとは謙信に似たのか景勝に似たのか、寡黙なイメージですね。資料が少ないのもあるし書きづらい。あ、それで小説やドラマも少ないのかw
Rakuna 2010/09/24(Fri)22:45 編集
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