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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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「戦国人物紹介」

■武田信玄5 合理主義

信長は無神論者で迷信を信じなかった、と思われていますが、信玄はどうだったのでしょうか。さぞ迷信深かった(出家しているが信心深かったかどうかは疑問)と思われそうですが、意外な逸話がいくつか残っています。

ある戦いでのこと。明日の暦を占ってみると、戦えば必ず負けるという凶日と出た。敵も凶日であることを知って油断しているだろうと考えた信玄、夜明けとともに激しく攻め込んで大勝利を得た。

またあるとき、飛騨の国へ攻めていったが、このときは攻める方向がよくなかった。「破軍返り」といって、その方向へ攻めると必ず負けるという方角である。家臣の間では進撃をためらう空気があったが、それを知った信玄は「敵陣を突き破って、向こう側へ出て、反対に向き直って戦えば、敵の方こそ破軍返りになるではないか」、そう言って家臣を励まし、勇敢に攻めかかったところ、大勝利であった。

信玄自身、易学(うらない)を学んで、八卦を立てることに上手だったが、出た結果にこだわることはなかった。あるときの卦が非常によくなかったのだが、信玄はそれには構わず、軍備を厳重に整えて、敵軍が油断しているところを攻めて、見事に勝利したことがある。馬場美濃守に向かって「占いも当てにならないな。出た卦はひどく悪かったのに、案外にも勝ってしまった」と言うと、「卦が悪かったと申されるのは、敵味方のうち、どちらに悪かったのでしょう」と馬場がきいた。信玄「わしが立てた卦だ、わしのために悪かったに決まっている」馬場「さようでしょう、そのはずでございます。殿のために悪い卦だとお考えになったればこそ、今日の合戦にはいつにもまして、軍備を固めたに違いありません。それゆえにこそ、意外なまでの大勝利となったのでございます」

また別のとき、信玄が出陣しようとしていると、鳩が一羽飛んできて、木の枝に止まった。すると兵士一同がこれを見てうれしそうに話を交わしているので、「どうしたのだ」と信玄が尋ねると、兵士たちは「これまでにも鳩が来て、この木に止まると、必ず戦は大勝利でした」「その鳩が今日も来ました、おめでとうございます」
しかし、信玄はその言葉がまだ終わらないうちに、鉄砲で鳩を撃ち落としていた。
兵士たちがそんな迷信を持っているとすれば、鳩が来ないときには戦いに負けるのではないかと不安に思うだろうが、それでは困ると信玄は考え、鳩と戦いの勝敗には関係がないことを兵士たちに知らせるため、わざとその鳩を撃ち落としたのだった。

謙信は特別ですが、戦に勝とうと思えば迷信に振り回されずに(時に迷信を利用して)合理主義に徹すること、これは信玄にも信長にも共通しています。
 
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無題
占いしていいように解釈して使うというのは、信玄も未来人であるということなのかw
amasiz 2010/08/21(Sat)19:10 編集
無題
平安時代の陰陽道でも、外出の際に向かう方角が悪い方角に当たる場合、前日にいい方角の家に一泊して方角を変えて行くというのがあります(方違、かたたがえ)

いまも昔も占いをうまく使いこなすというのは共通しているようですw
Rakuna 2010/08/21(Sat)19:25 編集
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