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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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「戦国人物紹介」

■武田二十四将6

・真田幸隆 【さなだゆきたか】 1513-74
小太郎、弾正忠、一徳斎。徳川キラー昌幸の父。信之、幸村(信繁)の祖父。
信濃の豪族だが、村上義清の攻撃を受けて上野箕輪城主の長野氏のもとに逃れる。1544年、信玄に招かれてその配下となる。信玄は義清に二度敗れるが、幸隆は謀略をもって村上方の砥石城を落とし、義清を越後に追う。信玄の西上作戦の際は信濃に留まる。信玄の死の翌年に死去。



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これはまあイメージに近いかな・・・。

・真田信綱 【さなだのぶつな】 1537-75
源太左衛門尉。幸隆の長男。信玄に仕え、信濃先方衆として上杉軍への備えとなる。川中島の戦いでは妻女山への別働隊に加わるという。信玄の西上作戦にも従い、三方ヶ原の戦いで活躍する。幸隆の死後は家督を継いで勝頼に仕えた。長篠の戦いで弟昌輝とともに戦死しため、真田家の家督は弟昌幸が継いだ。

・山本勘助 【やまもとかんすけ】 1493?-1561
菅助(菅介)。晴幸。出家して道鬼。一説に「山勘」の語源。信玄の軍師として知られ、NHKの大河ドラマにも登場したが、『甲陽軍鑑』ほかいくつかの史料にしか名が現れないことから、かつては実在自体が疑われていた。いまも経歴については不明な部分が多い。

『甲陽軍鑑』では三河牛窪の出身で、築城や布陣に優れていたという。しかし、容貌魁偉(片目な上に手足も不自由であったという)ために今川家に仕官したが用いられず、のちに信玄に仕えることになる。信玄に仕えると、諏訪家から諏訪御料人を迎えるのに功績があったという(信玄が滅ぼした敵方の娘として、家臣たちは側室に迎えることに反対していた)。

足軽大将として、また築城の名手として、信玄の信濃攻めに貢献したが、第四回の川中島の戦いで「きつつき戦法」を謙信に看破され、責任を感じて上杉軍に突撃、戦死する。



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■今後の予定

・武田信玄3
・三方ヶ原の戦い
・武田二十四将7 小幡虎盛、原虎胤、原昌胤
・武田二十四将8 多田満頼、横田高松、三枝守友、土屋昌次
・武田信玄4 領国統治
・武田信玄5 合理主義
・武田信玄6 風林火山
・武田信玄7
・011 秋山信友
・012 小山田信茂
・013 穴山信君(梅雪)
・014 木曾義昌
・015 武田勝頼

どれだけ武田家で書くのかという・・・そんなに好きでもないんだけどw 好き嫌いと評価はおのずと別のものですけどね。
 
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無題
それだけ書けるネタがあるってことですもんね。俺のルイージ小一郎とか、もうね?w

真田はやっぱり優秀ですね…太閤立志伝5だと武田が滅んだあと真田一族を拾いに行くのが天下への道でした。たとえ主家が足利だろうが尼子だろうがw
amasiz 2010/08/09(Mon)16:28 編集
無題
信玄は悪行三昧・・・もとい、俗っぽいというか人間っぽいところがあるから、書けるのかもね。自らも意図的に神がかり的なベールをまとった謙信の方は書きにくいw

ナンバリングするかどうかの目安は800字くらい書けるどうかなんですけど、真田幸隆は意外と微妙なところなんですね。真田家の由来で半分くらい書くと行けそうですけど、それは昌幸の回でやろうかと。
Rakuna 2010/08/09(Mon)16:55 編集
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