兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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「戦国IXA」はメンテ落ち・・・あれだけ重いとちょっとね・・・。
で、再来年の大河ドラマが平清盛になったそうですという話。
40年前にも大河ドラマの主人公になったそうですが、このときは悪役っぽい描かれ方をされていたとのことで、今回は見直しがされるようです。
清盛では完成しませんでしたが(後世から見ると不完全だった)、武家政権の基礎を築いた人ですし、頼朝も平氏政権を見ているから(参考にしているから)、エポックメイキングな人ではあるんだよね。それゆえに、旧体制の人から見れば極悪人に移るのでしょうが。
大輪田泊(おおわだのとまり、いまの神戸港の一部)を拡張して、日宋貿易を行ったことも評価されていいでしょう(すでに民間貿易はあった)
で、再来年の大河ドラマが平清盛になったそうですという話。
40年前にも大河ドラマの主人公になったそうですが、このときは悪役っぽい描かれ方をされていたとのことで、今回は見直しがされるようです。
清盛では完成しませんでしたが(後世から見ると不完全だった)、武家政権の基礎を築いた人ですし、頼朝も平氏政権を見ているから(参考にしているから)、エポックメイキングな人ではあるんだよね。それゆえに、旧体制の人から見れば極悪人に移るのでしょうが。
大輪田泊(おおわだのとまり、いまの神戸港の一部)を拡張して、日宋貿易を行ったことも評価されていいでしょう(すでに民間貿易はあった)
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「横綱(とあえて書きますが)白鵬が45連勝で大鵬の記録に並んだ」と書いても、相撲に興味のない人には何のことかわかりません。興味も持たないかもしれません(逆に相撲に興味を持つきっかけになるかもしれませんが)
このブログを始めたのは、書かないと死んじゃうというのもありますが、歴史に興味を持つきっかけになってもらえればというのがあります(もちろん前のブログからの続きですが)
相撲でもサッカーでも、スポーツでなくてもいいのですが、何でも興味を持って知っていけばきっと面白いことがあるはずです(それは人生、というと大げさですが、あなた自身(の精神だったり会話だったり)を豊かにしてくれるはずです)
歴史だって、こんな人がいたのか、こんな変な人がいたのか、こんな出来事があったのか、でも何でも、興味を持って知っていけば、いろいろと面白いことに出会えると思います。我々と同じ人間が過去にやったことですから、現在、将来を生きる我々の役に立つこともあると思います(活かすことができない学問は単なる自己満足に過ぎない)
まあ、そんなに難しく考えなくても、小説的に(あるいは「ブログ的に」)読んで楽しんでいただいても構いません。書き手に自由があるとともに、読み手にも自由があります。
話を最初に戻しますが、知っていくということは少なからず専門的にならざるを得ません。これは避けることができません。知らないことを知っていくということですから、「知らないまま」の人は大勢いるはずです。これは書き手にとってはゆゆしき(重大な)問題です。書き手と読み手が同じ土俵(理解)の上に立っていないかもしれないということです。
いくら白鵬の連勝記録を「すげー」と思っても、知らない人にこの感動や衝撃、偉大さを伝えるのは難しいかもしれません。上には69連勝した人もいるわけですし。野球賭博問題で解雇、謹慎になった力士もおり、ほかに強い力士がいない中で、この連勝は価値が落ちると思う人もいるかもしれません。
「これはこうで・・・」と書いても、読み手が書き手のイメージ通りに読めているかというと、必ずしもそうとは限りません(単に知識の問題だけではない)。ただ、これはある意味当然のことで、読み手も書き手もそのギャップ(溝)を埋めるべく意識的に、あるいは無意識に努力をしています。
北海道だけ梅雨明けしてないんじゃないの? この蒸し暑さは体にこたえる・・・。
NHKの毎週月曜22:55からの「名将の采配」
うーん・・・。
家康は律義というイメージだったが、最近は狡猾、狸親父というイメージなのか。
気迫なんかで勝てるかい。
なぜ「関ヶ原」で決戦となったかについてまったく触れていないし、両軍とも関ヶ原に間に合わなかった部隊がいた(西軍は立花宗茂、小野木公郷ら、東軍は徳川秀忠など徳川家の本隊)。昨年の大河ドラマでもわかるように、関ヶ原だけで戦いが行われていたのではない。
そもそも、この戦いは「豊臣家家臣」同士の戦いで、豊臣家対徳川家ではない。勝った徳川家康も、これですぐに天下人となったわけではない。関ヶ原の戦いが1600年、征夷大将軍となるのが1603年、豊臣家を滅ぼすのが1615年である。
関ヶ原の戦いを語るなら、少なくとも秀吉の死から始めないとダメである。
来週は川中島の戦いらしいですが、実在すら疑われている戦いを軍記物ベースで憶測するのでしょうか・・・。価値あるの?
NHKの毎週月曜22:55からの「名将の采配」
うーん・・・。
家康は律義というイメージだったが、最近は狡猾、狸親父というイメージなのか。
気迫なんかで勝てるかい。
なぜ「関ヶ原」で決戦となったかについてまったく触れていないし、両軍とも関ヶ原に間に合わなかった部隊がいた(西軍は立花宗茂、小野木公郷ら、東軍は徳川秀忠など徳川家の本隊)。昨年の大河ドラマでもわかるように、関ヶ原だけで戦いが行われていたのではない。
そもそも、この戦いは「豊臣家家臣」同士の戦いで、豊臣家対徳川家ではない。勝った徳川家康も、これですぐに天下人となったわけではない。関ヶ原の戦いが1600年、征夷大将軍となるのが1603年、豊臣家を滅ぼすのが1615年である。
関ヶ原の戦いを語るなら、少なくとも秀吉の死から始めないとダメである。
来週は川中島の戦いらしいですが、実在すら疑われている戦いを軍記物ベースで憶測するのでしょうか・・・。価値あるの?
藤堂高虎はテクノクラートだと思っています。ほかにもいろいろな側面がありますけどね。
「歴史群像」8月号の藤堂高虎を読んで感じたのは、集権派というのが具体的にどの人々のことを指すのだろうかということです。
石田三成が筆頭なのはわかりますが、ほかに誰が該当するのかよくわかりません。三成一人で権力を振りかざしていたというのはやや無理があります。
大和大納言家断絶の後に大和郡山城主となった増田(ました)長盛は含めていいでしょう。三成や長盛と同じ五奉行である長束(なつか)正家もそうでしょうか。あとは五奉行で見ていくと浅野長政は三成と対立して排斥されていますし、子の幸長(よしなが)も反三成、親家康です。前田玄以は公家、寺社、京の内政担当で、必ずしも三成と同じような集権派とは言いにくいと思います。
あとは関ヶ原の負け組で見ていくと、小西行長は三成とは親しかったものの独立した大名ですし(武断派と言われる加藤清正らとは仲が悪い)、安国寺恵瓊は毛利家の外交僧に過ぎません。
五大老も多くは関ヶ原で西軍に属しますが、当時生存していた前田利家にしても毛利輝元にしても、独立した大名であり、むしろ分権的考えに近かったと思います(秀長や家康を分権派としても、ほかの分権的考えを持つ大名と集団を同じにするとは限らない)
となると、誰が集権的指向を持っていたのかと考えると、残る可能性としては秀吉本人しかありません。秀吉の威を借る三成というところなのでしょうか。またあらためて考えてみたいと思います。
「歴史群像」8月号の藤堂高虎を読んで感じたのは、集権派というのが具体的にどの人々のことを指すのだろうかということです。
石田三成が筆頭なのはわかりますが、ほかに誰が該当するのかよくわかりません。三成一人で権力を振りかざしていたというのはやや無理があります。
大和大納言家断絶の後に大和郡山城主となった増田(ました)長盛は含めていいでしょう。三成や長盛と同じ五奉行である長束(なつか)正家もそうでしょうか。あとは五奉行で見ていくと浅野長政は三成と対立して排斥されていますし、子の幸長(よしなが)も反三成、親家康です。前田玄以は公家、寺社、京の内政担当で、必ずしも三成と同じような集権派とは言いにくいと思います。
あとは関ヶ原の負け組で見ていくと、小西行長は三成とは親しかったものの独立した大名ですし(武断派と言われる加藤清正らとは仲が悪い)、安国寺恵瓊は毛利家の外交僧に過ぎません。
五大老も多くは関ヶ原で西軍に属しますが、当時生存していた前田利家にしても毛利輝元にしても、独立した大名であり、むしろ分権的考えに近かったと思います(秀長や家康を分権派としても、ほかの分権的考えを持つ大名と集団を同じにするとは限らない)
となると、誰が集権的指向を持っていたのかと考えると、残る可能性としては秀吉本人しかありません。秀吉の威を借る三成というところなのでしょうか。またあらためて考えてみたいと思います。
昨日の記事のコメントに「日本銀行の説明が難しい」というのを書きました。
NHKの大河ドラマで「龍馬伝」をやっていますが、半年たっても坂本龍馬が何をした人かはさっぱり見えてきません。ドラマ(脚本というものがある)ですし、史実とイコールというわけではありません。史実と事実が同じとも限りませんしね。
龍馬「伝」を半年見ても、龍馬についてはさっぱり説明できません。土佐の出身で下級武士、くらいかなw
以前も書きましたが、私はこの人を薩摩のエージェント(代理人)としか見ていないので、歴史的な評価は低いです。
では、武田信玄はどうなのかというと、説明しようとすると意外と難しいかもしれません。何をやった人なのでしょうか。
・甲斐の国の戦国大名・・・まあ、だいたい合っています(「戦国大名」の定義が要りますが)
・川中島で上杉謙信と戦った・・・本人同士は決勝戦をやっているつもり
・三方ヶ原の戦いで家康を脱糞させた・・・きっと合っていると思います
・治水、鉱山開発を行う・・・すぐれた民政家としても知られています
・・・ライバル、上杉謙信だともっと難しいよねえw
週末くらいからぼちぼちやっていこうと思います。
最初は信玄のお父さん、信虎から。それから武田二十四将全部やりますw
(ずっと後に取り上げるであろう真田昌幸以外)
NHKの大河ドラマで「龍馬伝」をやっていますが、半年たっても坂本龍馬が何をした人かはさっぱり見えてきません。ドラマ(脚本というものがある)ですし、史実とイコールというわけではありません。史実と事実が同じとも限りませんしね。
龍馬「伝」を半年見ても、龍馬についてはさっぱり説明できません。土佐の出身で下級武士、くらいかなw
以前も書きましたが、私はこの人を薩摩のエージェント(代理人)としか見ていないので、歴史的な評価は低いです。
では、武田信玄はどうなのかというと、説明しようとすると意外と難しいかもしれません。何をやった人なのでしょうか。
・甲斐の国の戦国大名・・・まあ、だいたい合っています(「戦国大名」の定義が要りますが)
・川中島で上杉謙信と戦った・・・本人同士は決勝戦をやっているつもり
・三方ヶ原の戦いで家康を脱糞させた・・・きっと合っていると思います
・治水、鉱山開発を行う・・・すぐれた民政家としても知られています
・・・ライバル、上杉謙信だともっと難しいよねえw
週末くらいからぼちぼちやっていこうと思います。
最初は信玄のお父さん、信虎から。それから武田二十四将全部やりますw
(ずっと後に取り上げるであろう真田昌幸以外)