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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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中共の次はロシアということで、日本のプレゼンスが揺らいでますな。

政権が悪いのか、もっとほかのところが腐っているのか・・・。

外交(軍事も含めて)というものは一朝一夕にはできませんから、

積み重ねのなさが出てきているんでしょう。

築き上げるのに時間がかかっても、崩れるのは一瞬。


昨日の上杉家臣では直江景綱は知られていますが、ほかには中条藤資。

血筋も悪くないし、老将フェチにもおすすめ。

昔の「信長の野望」はシナリオも少なくて、1400年代生まれの武将は珍しかったのですが、

いまは増えましたし、逆に1600年代生まれの武将なんてのもいますよね・・・。
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「のぼうの城」はスルーです。歴史小説は読みません。映画も見ません。

宮城谷昌光「三国志」は違うのかよ、って人は宮城谷昌光を読んでからにしてくださいw


秀吉が小田原を攻めた際に、石田三成が成田氏の忍(おし)城を攻めたときのお話。

最近はゲームにも登場する甲斐姫もいるし、うまく書けばうまく書いたようになるのではないかと。

歴史に興味を持つ導入になるなら、小説でもゲームでもいいですからね。

酒飲んで馬乗ってたら、いまなら飲酒運転じゃないかw


ドラゴンズの日本シリーズ進出には何の不安もないのですが、

相手がパ・リーグ3位のロッテというのは、日本一の価値を損じるなあ。

ソフトバンクに出てきてほしかったです。

(どっちでもいいと言いながら、ソフトバンクが勝つだろうと思っていただけに)


出張中に宮城谷昌光の文庫版「三国志」五巻を読了。

メインは官渡の戦いですが、曹操がさわやかでよいね。暗さがない。

引き続き同時刊行の六巻を読むつもりですが、七巻は来年十月、以降年一巻ずつ刊行予定、

ということで、そんなに待てないので(今回も一年待った)、ハードカバーに移るかも。


一続きの物語で、文庫版とハートカバーが混じるということにはまったくこだわりがありません。

大きさの違うものが混じるということは、本棚に並べたときにどうかということですが

(基本的に本は売らない)、本の主たる目的は本棚に飾ることではありません。
ロッテが逆王手で俄然面白くなってきました。

我らがドラゴンズは水曜日初戦・・・待たせすぎw


そろそろ上杉謙信、そのあと景勝、兼続と続けるかはわかりませんが、

向こうで取り上げた武将と重複するところが出てくるので、向こうは閉じておきます。

時間がたつと見方も変わるかもしれませんし(時間がたっても兼続の評価は低いけどね)

記事自体は残っていますので、読みたい方は直接呟いてみてくださいw


秋の番組改編があって、終了していた番組が復活していたり、見ていた番組の時間帯が変わっていたり、

終了する前に見なくなっていた番組が復活していたり、

そんなのは関係なく年明けから続いているドラマなんかはもういい加減に終わってほしかったり・・・

またこの変化した状況に合わせていくのが面倒。


そして、「やきゅつくONLINE2」はマイナーランクで優勝ですよ。

二日にわたる16連勝で首位獲り。

モチベーション下がったままですけどw(おもに契約年数の問題)
明日は札幌出張で不在、水曜のNHK「歴史秘話ヒストリア」は上杉謙信ということで、上杉謙信のさわりだけ(まだまとめ切れていない)

家臣の掌握に苦労し、一時越後を出奔してしまったというのは前に書きましたが(これは一流の演出と考えた方がよい)、今回は内政について。

いまでこそ、越後は日本有数の米どころとして知られていますが、戦国時代の頃にはあまり米が取れない地でした。関ヶ原の頃で、越後の石高は五十万石ほど(謙信はこのほか上野や越中にも所領があった)。一方、信玄の甲斐・信濃は約七十万石。信長だと、尾張・美濃だけでも八十万石を超えます。米だけで考えると、この二人の所領は意外と多くないんですよね。動員兵力も限られてきます(米以外にも収入はあるが、結局は食べ物に左右される)

そこで、謙信が目を付けたのは商業なんですね。青苧(あおそ)と呼ばれる繊維の原料を越後の独占的な交易品として扱い、また直江津や新潟、柏崎などの港湾を抑え、日本海の交易によって巨利を得ました。死後には大量の金が遺されていたと言います。

さて、信玄が北上した目的の一つも海に出ることだったと考えられています。陸上交易や米といったものにとらわれがちですが、海上交易や米以外の物資の交易も大きなものなんですよね。

しかし、信玄の場合は謙信を越後から追うまでには至らず、また同盟していた今川義元が桶狭間で敗死したことによって、南の海を目指すことになります。信長が桶狭間で勝利したのみならず、義元を討ったということはこんなところでも影響しています。信玄が南の海を目指す過程で、嫡男の義信を失い、武田家の将来にも微妙な影を落とすことになったというのは以前書きました。
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