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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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ある作品で売れてしまうと、その作品での役がイメージとしてついてしまって、以後苦労する、というのはよくある話。

さて、江に限らず、女性は男性に比べて記録が極端に少なく、「隙間」が多いと言える。それゆえに作家や脚本家の想像の入り込む余地が大きいのだが、最近は受け手(読者、視聴者)の方も目が肥えてきており、納得のいかない場面があれば不満が出てくるし、ましてやネット時代であれば、批判も簡単に共有できるのである。

前回はお市の方の袋の豆(鼠)の逸話も変な使われ方をしたし、浅井万福丸が串刺しにされる場面もなかったし(中略)、子役の熱演もあって、なんだか悲しい話だなあ、という印象しかなかった。

江も「お江の方回想録」なんてものは残していないので(実は生年すらはっきり記録されていない)、伯父でもあり父の仇でもあった信長のことをどう思っていたのかはまったくわからない。おそらく物心つく前に、おじさんは本能寺で爆死してしまっていたのではないだろうか。

この脚本家は、江はおじさんのことをリスペクトして、性格も似たことにしたいようだが。判断材料がないので、受け入れようがない。
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(昨日の続き)

直接的な「物」が足りないのは言うまでもないのだが、

それ以前に何か欠如しているような気がしてならないのだ。

例えば公的な支援の仕組みだとか。

個人の善意に頼らねばならなくなっているような状況が嘆かわしい。


(大河ドラマのおかわり)

「希望」とはhopeの訳語ではないかと思っていて、

大河ドラマの「江」でも「龍馬伝」でも台詞の中で「希望、希望」と言うのに

違和感を覚えていたのですが、そのへんどうなんでしょう。

「きぼう」には「冀望」という書き方もあるので、昔から言葉自体は存在していたのでしょうが、

当時、「こいねがう」以外に「希望を与えるもの、人」という意味まであったのでしょうか。


あとは、江も含めて、登場人物の多くが馬に乗れるような気がしたのですが、合成?

お市の方は乗れてなかったよねw

役者も乗馬スキルがついていないと、歴史ドラマ不可、になっていくのでしょうか。


大地康雄(柴田勝家)の一色右馬介(「太平記」)の話までしだすと長くなるので措く。
ドラマに見るべきところはない(あくまでも個人的な感想)ので、登場人物について自由に書きますよw

歴史、戦国時代に関心を持つきっかけはドラマでも漫画でも小説でも何でもいいと思っているので、興味のある人は見続けましょう。私もとりあえずは見続けます。

「坂の上の雲」は小説の内容、戦争の場面(に限らず)がどう再現されるか興味があったんだけど、今回の大河ドラマはそういう意味での新鮮さはないですね。「知ってる」というところと「これは創ってるだろ」というところしかない。

さて、第一回で死んでしまった浅井長政の評価は辛(から)いので順番が来てから書きます。

さわりだけ書いておくと、三代将軍家光の祖父であり、明正天皇の曽祖父でもあるから、この人の評価にはバイアスがかかっていて、少なくとも近世までは悪く書かれることは多くありません。敗北した姉川の戦いでも奮戦したように書かれています。その分、織田軍が弱く、同盟軍として参加した徳川軍のおかげで勝ったように書かれています。それが徳川史観とでも言うべきものです。ちなみに、死後、六十年近くたってから従二位中納言を贈られています。

お市の方ですが、いつの頃からか「戦国一の美女」とされましたが、個人的な逸話は少ないです。両端を結んだ袋に豆を入れて兄に危機を知らせた話(大河ドラマ「江」ではなかったことにされた)は知られていますが、事実かどうかは不明です。ただ、お市の方の聡明さを伝える逸話としてよく引かれます。

柴田勝家との最期についてはまたいずれ。死んでもナレーションは続けるのでしょうか。
広瀬武夫というと、日本初の「軍神」となった人で、

戦前は、「杉野はいずこ~」の文部省唱歌「広瀬中佐」(死後、少佐から昇進)でも

広く名が知られていました。

軍神云々をやってしまうと「戦争賛美」的なイメージが出るので避けたのでしょうが・・・。


第二部は日露開戦したものの、旅順港閉塞作戦までしか行かず。

第三部は戦争シーンをどこまで再現できるかにも期待したいですね。あと、児玉源太郎。


んー、今週も普通に仕事なので、年の瀬という感じがしません。いつものことですけどね。

年賀状も書く気になりません。

年が明けると、異動もありそうなので、落ち着きません。
最後の方に出てきた、島村参謀長(舘ひろし)、かっこいいじゃねえか!


今週の主役は海の山本権兵衛(ごんべえ、ごんのひょうえ)でしょうか。

二度組閣しましたが、首相としては恵まれませんでした。この人の功績は「海軍のオーナー」と言われるように、ほとんど何もなかったところから日本海軍を作り上げたことにあります。プロ野球の監督としては実績が遺せなくても、投手コーチとしてはすぐれていた某監督のようですw

連合艦隊司令長官に東郷を任命したあと、日高が乗り込んでくるシーンがありましたが(常備艦隊の司令長官である日高が任じられるのが通例)、明治帝が山本に東郷を任命した理由をきくと、山本は「東郷は運のいい男ですから」と答えたといいます。

児玉の降格人事(内務大臣から参謀次長)にしろ、東郷の抜擢にしろ、この戦争における人事、人材配置の的確さというのは人智を超えたもの感じます。

明石元二郎はまた出てくるでしょうからそのときに。キリシタン武将であった明石全登の子孫という話も。
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