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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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政治では各国の首脳が任期を迎え、新しい首脳が選ばれることから、

何かの転機になるのでは、ということで2012年問題がありますが、

その前に2011年が無事に終えられるかですねえ。

すでに死傷者も出ているので、無事には済ませられませんが。

北アフリカから中東、そして中共まで、

まだ二月ですが、年の瀬にはどうなっているのでしょう。


独裁体制を崩して、民衆の手で政治が行われるようになるかは、

各国の政治状況によって様々でしょうが(特に軍の動きに左右されやすい)、

これらの国は自分たちで政治をするって決めたってことですよね。

それがうまくいけばいいとは思いますが。

最初からはうまくいかないでしょうから、試行錯誤の中から何が生まれてくるか。

破壊しただけではなく、そのあとに何が創造できるか、です。


それらから何を学べるか。
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本の話。

今月の「歴史街道」は児玉源太郎の特集。

君よ、児玉源太郎を知れ、ってところです。

戦争は始めたら終わりを考えなければなりません。

要するにどうやって講和に持ち込むかということです。

このビジョンがないまま(あるいは甘い見通しのまま)戦争に突入するとどうなるかは、

日中戦争、太平洋戦争でご存じの通りでしょう。

NHKの「坂の上の雲」はしばらくおやすみですが、復習と予習を兼ねて読んでおきたいですね。

「歴史群像」も奉天会戦を特集していますのであわせてどうぞ。

関ヶ原合戦の作戦研究もありますので、そちらに興味のある方もどうぞ。


あとは新書をいくつか立ち読みしてきましたが、

「戦国「常識・非常識」大論争!」 鈴木眞哉 歴史新書y(洋泉社)

あたりをお薦めしておきたいなと。

武田の騎馬隊も鉄砲の三段撃ちも存在しませんし、

「武功夜話」は偽書ですし、桶狭間での迂回奇襲もありません。

本能寺の変に黒幕など存在しません。


「戦国人物紹介」

■上杉謙信7

謙信の部隊編成法

戦闘の際、大勢の兵士を急いで部隊に編成しなければならないことがある。
そのようなとき、謙信は、兵士の集団の中へ馬を乗り入れ、縦横無尽に乗り回すのであった。乗り回すにつれ、兵士たちはおのずと前後左右に分かれる。分かれたものがすなわち一つの部隊になるのである。
馬のことだから、兵士たちの中をやみくもに駆け回って、ときにはとんでもないことが起こる。従者に槍を持たせた侍が、その従者と別の部隊になってしまい、従者も主人のそばへ行けず、主人も従者を呼びよせることができない、といったようなことである。
そんな具合の困ったことがしばしば起こったが、謙信はいっこうに気にもしなかった。すべては合戦のためと思い、敵を相手に太刀打ちをするときと同様の激しい意気込みだったからであろう。部下を指揮するにあたっての謙信は、その気合いの激しさ、およそこんなふうであった(『武将感状記』)
 
にわかには信じがたいが、謙信の戦争における天才性、奔放さを表す逸話である。

生涯不犯と酒

さて、最後は謙信個人の話。血液型と性格に相関性がないことは、明治の陸軍が証明していますし、血液型占いがあるのは日本だけだそうですが、謙信の血液型がAB型だったいうと、納得する人も多いかもしれません。六尺の偉丈夫と伝わる一方、遺品の甲冑からは小柄だったともされています。

生涯不犯(ふぼん)をつらぬき妻妾を置かず肉食も禁じたと言いますが、これは仏教に深く帰依していた母、虎御前の影響が大きいようです。七歳で曹洞宗の林泉寺に入り、天室光育のもとで禅を修めています。初めての上洛のときには高野山に参詣し、京で大徳寺の徹岫宗九(てっしゅうそうく、そうきゅう)から在俗のまま「宗心」(しゅうしん)という法号を授けられています。晩年は真言宗にも帰依し、四十五歳で剃髪して法体となり(それまで有髪の僧だった)、高野山の清胤の弟子となって、阿闍梨権大僧都の位階を受けています。

生涯不犯は凡人には理解しづらいもので、もちろん史家で採る者はいませんが、女性だったという荒唐無稽な俗説まであります。武勇に秀でた謙信が女性だったら、ということでゲームやアニメでは女性説を採用しているものも少なくありません。幼少の頃から僧として育てられてきたため、戒律には厳しかった謙信ですが、純粋に戦勝を祈願する信仰心から出たものと思われます。

一方で酒は飲みました。仏教の戒律である五戒の一つに不飲酒(ふおんじゅ)がありますが、要は解釈次第で、酒は飲んでも乱れなければいい、とすれば酒は飲めるということでしょうか。酒の肴はいつも梅干しだったと言いますが、酒と塩分の摂り過ぎが寿命を縮めたのは疑いのないところです。

とても語りつくせませんが、以上で上杉謙信の稿は終了です。次回はリクエスト特集。



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この謙信も中性的。これだけの能力でコスト2は反則ですが・・・。
家康の嫡男信康を殺させた信長(トヨエツ)の真意を知りたくて安土までやってきた江(上野樹里)。

45分引っ張った挙句、信長「わかんない」

・・・もう来週から見ませんw 何の漫才だw

あ、本能寺だけは見るかも。
昨日のNHK「歴史秘話ヒストリア」は「悪左府」こと藤原頼長でしたが、

いまの人にはどう見えるんでしょうかね。

男色というと、一部の人々には受けそうですが・・・。

摂関政治の全盛だった道長の子頼通からすると、孫の孫に当たります。

「左府」は左大臣の意味ですが、「悪」は悪人だったというわけではありません。

源義平(頼朝、義経らの長兄)は「悪源太」と呼ばれましたが、

これも悪い人というよりは、「とても強い」という意味で使われました。

(藤原頼長の例を見ても、否定的なニュアンスがまったくないわけではない)

頼長は保元の乱で敗死しますが、そういう人の日記が残っているというのが興味深いですね。
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