兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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「平清盛」、大河ドラマつながりで。
兵庫県知事が「画面が汚い」と言ったことは知られていますが、当時の空気感を作りだそうとすれば、必ずしも明るく鮮明な画面がいいとは言えないわけでして。
AKB48の前田敦子だって、汗と埃で黒光りする顔を見せながら「龍馬おじちゃん」と言っていたではないですか。昔と言ったら貧しく、さらに汚かったと思われています(とはいえ、江戸時代は完全な循環型社会で汚物も含めて着物などあらゆるものが徹底的にリサイクルされ、道なども掃き清められていた)
日本人としてはリアルに貧しさを感じられるのは戦後の物のなかった時代であって、ここには現役世代がいますし、その子供にも戦後の貧しさ、汚さと言うのはある程度伝わっています。幕末、江戸時代はそれより昔だったから、物がなかっただろうし、汚かっただろうという想像は働くのかもしれませんが、それよりかなり遠い昔、平安時代ともなると、王朝文化華やかなイメージの方が先行して、貧しいとか汚いというイメージはわかないのかもしれません。
ちなみに、「粗製濫造されたアイドル」にはあまり興味のなかった私は最初、前田敦子に気付かなかったのですが、明るく演じる姿を見て感じるところがあって、ここに女優としての可能性を見ました。AKB48を卒業した後に女優として大成するかはわかりません。
兵庫県知事が「画面が汚い」と言ったことは知られていますが、当時の空気感を作りだそうとすれば、必ずしも明るく鮮明な画面がいいとは言えないわけでして。
AKB48の前田敦子だって、汗と埃で黒光りする顔を見せながら「龍馬おじちゃん」と言っていたではないですか。昔と言ったら貧しく、さらに汚かったと思われています(とはいえ、江戸時代は完全な循環型社会で汚物も含めて着物などあらゆるものが徹底的にリサイクルされ、道なども掃き清められていた)
日本人としてはリアルに貧しさを感じられるのは戦後の物のなかった時代であって、ここには現役世代がいますし、その子供にも戦後の貧しさ、汚さと言うのはある程度伝わっています。幕末、江戸時代はそれより昔だったから、物がなかっただろうし、汚かっただろうという想像は働くのかもしれませんが、それよりかなり遠い昔、平安時代ともなると、王朝文化華やかなイメージの方が先行して、貧しいとか汚いというイメージはわかないのかもしれません。
ちなみに、「粗製濫造されたアイドル」にはあまり興味のなかった私は最初、前田敦子に気付かなかったのですが、明るく演じる姿を見て感じるところがあって、ここに女優としての可能性を見ました。AKB48を卒業した後に女優として大成するかはわかりません。
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『平家物語』というのは、あれだけ栄華を誇った平氏があっという間に(というのは事実ではない)跡形もなく滅んでしまい、恨みを抱いて化けて出ませんように(怨霊になりませんように)と鎮魂を込めて作られ、琵琶法師が語った「語り物」です。
それゆえに、いわゆる物語的に誇張された部分や創作された部分が少なからずあって、事実とは異なるのですが、それでも人口に深く膾炙していて、(事実ではないとわかっていながら)この人物のこの部分が好きとかいうのがあるんですね。それは小説(作り物)の人物に思い入れを持つのと変わりません。
最近はアクが抜けたのか見やすくなってきた、NHK大河ドラマですが、『平家物語』の登場人物では平重盛が好きでして、清盛の嫡男に生まれながら、決して恵まれた境遇にあったとは言えず、清盛のライバルである後白河法皇と清盛の間にあって苦悩し、清盛に先立って死んでしまうのですが、ドラマではどのように描かれるのか楽しみです。
温厚な人柄で、苛烈な父をたびたび諫めたとされていますが、殿下乗合事件などを見ても、実際は内に激しい感情を秘めた人物だったようです。一方で、母親の身分が低かったため、外戚(母方の実家)の支援を受けられず、平家の中でも孤立気味でした。『愚管抄』にある「とく死なばや(早く死にたいものだ)」の言葉もリアリティがあります。
織田信長における嫡男信忠の立場もかくやと思わせますが、それは信忠を紹介するときにしましょう。
それゆえに、いわゆる物語的に誇張された部分や創作された部分が少なからずあって、事実とは異なるのですが、それでも人口に深く膾炙していて、(事実ではないとわかっていながら)この人物のこの部分が好きとかいうのがあるんですね。それは小説(作り物)の人物に思い入れを持つのと変わりません。
最近はアクが抜けたのか見やすくなってきた、NHK大河ドラマですが、『平家物語』の登場人物では平重盛が好きでして、清盛の嫡男に生まれながら、決して恵まれた境遇にあったとは言えず、清盛のライバルである後白河法皇と清盛の間にあって苦悩し、清盛に先立って死んでしまうのですが、ドラマではどのように描かれるのか楽しみです。
温厚な人柄で、苛烈な父をたびたび諫めたとされていますが、殿下乗合事件などを見ても、実際は内に激しい感情を秘めた人物だったようです。一方で、母親の身分が低かったため、外戚(母方の実家)の支援を受けられず、平家の中でも孤立気味でした。『愚管抄』にある「とく死なばや(早く死にたいものだ)」の言葉もリアリティがあります。
織田信長における嫡男信忠の立場もかくやと思わせますが、それは信忠を紹介するときにしましょう。
「戦国人物紹介」で武士だけを書くつもりはないのですが、武士を書いていると、武士政権の始まり、鎌倉幕府について書きたくなります。鎌倉幕府の成立が「いい国作ろう」の1192年ではなくなり、1185年とする説が支配的になったのは近年のことですが、ある日突然、鎌倉幕府ができたわけではありません。1192年は頼朝の権力を掣肘していた後白河法皇が崩御して頼朝が征夷大将軍になった年ですが、これ以前から幕府の組織、機構といったものは存在していました。1185年は守護・地頭職の設置が「認められた」年で、幕府権力が誕生した年と見なされています(始まりをどこに置くかによって成立した年代は変わる)。ちなみに上位の権力に「認められて」、権力が成立したことになりますが、認めたのは朝廷になります(文治の勅許)。支配の正統性には朝廷の権威が必要だったということです。なお、「幕府」の呼称は後世のもので(当時使われていた「幕府」の言葉はいまとは定義が異なる)、「鎌倉殿」などと呼ばれていました。
武家政権の誕生は土地を実質的に支配していた武士が政権の座に就いた、という点で画期ですが(平清盛は武士が政権に参画した始まりと見ることができるが、既存の貴族政権の中で太政大臣の位に就いたのであって、完全なる武家政権とはみなせない)、武士が武家政権に求めた機能の一つが裁判能力でした。土地の実質的な支配者である武士にとって、土地に関する訴えをどう裁くか(訴えがどう裁かれるか)は重要な問題でした。これには裁判能力だけではなく、立法についての能力も求められました。法や判例は秩序を維持するための範となります。
そこで、権力が誕生したといっても、それを成り立たせるには人材がいなければなりません。実務家が必要となります。そこで朝廷から鎌倉幕府に何人かの人物が招聘されました。二人挙げておきましょう。中原親能と大江広元の兄弟です。大友氏の祖は中原親能の養子となっていたことがあり、大江広元は上杉家に仕えた北条(きたじょう)氏や毛利氏の祖であり、こんなところでも戦国時代とつながっています。
大江広元は怜悧な実務家といったところで、戦国一の謀略家と評される毛利元就の先祖とされるのも納得できる気がします。江戸幕府の初期に活躍した土井利勝にも似るのではないでしょうか。頼朝に招かれて公文所(政所)の初代別当となります。守護や地頭の設置は広元の献策によります。
新しい政権を創るときに、前の政権の人間(スタッフ)を使う、というのはよくあることですが(戦前の官僚組織は戦犯の一つでありながら、戦後もアメリカの意図で残されて、日本の戦後復興に大きく貢献するのだが、またもや国の害となっているのは言うまでもない)、基本的に使わなかったのが明治政府でした(勝海舟など旧幕府の人間を登用しなかったわけではない)。徳川慶喜が大政を奉還したのも新政府に政権担当能力がないのを見越してのことでした。「大政」なるものを返上しても幕府の実質的な支配は残っていました。幕府の影響力を残しながら、次の新政権への参画(それも主導的な役割として)を図るのが慶喜の狙いでした。
さて、いまの民主党政権には実務能力(政権担当能力)が備わっているのでしょうか。
武家政権の誕生は土地を実質的に支配していた武士が政権の座に就いた、という点で画期ですが(平清盛は武士が政権に参画した始まりと見ることができるが、既存の貴族政権の中で太政大臣の位に就いたのであって、完全なる武家政権とはみなせない)、武士が武家政権に求めた機能の一つが裁判能力でした。土地の実質的な支配者である武士にとって、土地に関する訴えをどう裁くか(訴えがどう裁かれるか)は重要な問題でした。これには裁判能力だけではなく、立法についての能力も求められました。法や判例は秩序を維持するための範となります。
そこで、権力が誕生したといっても、それを成り立たせるには人材がいなければなりません。実務家が必要となります。そこで朝廷から鎌倉幕府に何人かの人物が招聘されました。二人挙げておきましょう。中原親能と大江広元の兄弟です。大友氏の祖は中原親能の養子となっていたことがあり、大江広元は上杉家に仕えた北条(きたじょう)氏や毛利氏の祖であり、こんなところでも戦国時代とつながっています。
大江広元は怜悧な実務家といったところで、戦国一の謀略家と評される毛利元就の先祖とされるのも納得できる気がします。江戸幕府の初期に活躍した土井利勝にも似るのではないでしょうか。頼朝に招かれて公文所(政所)の初代別当となります。守護や地頭の設置は広元の献策によります。
新しい政権を創るときに、前の政権の人間(スタッフ)を使う、というのはよくあることですが(戦前の官僚組織は戦犯の一つでありながら、戦後もアメリカの意図で残されて、日本の戦後復興に大きく貢献するのだが、またもや国の害となっているのは言うまでもない)、基本的に使わなかったのが明治政府でした(勝海舟など旧幕府の人間を登用しなかったわけではない)。徳川慶喜が大政を奉還したのも新政府に政権担当能力がないのを見越してのことでした。「大政」なるものを返上しても幕府の実質的な支配は残っていました。幕府の影響力を残しながら、次の新政権への参画(それも主導的な役割として)を図るのが慶喜の狙いでした。
さて、いまの民主党政権には実務能力(政権担当能力)が備わっているのでしょうか。
「平清盛」は見ていませんが、もうすぐ保元の乱のようです。
乱の主要な登場人物の一人である崇徳院と言えば、日本最大の怨霊としても知られています。いわゆる「○○天皇」などの諡は(原則として)あとから付けられるもので、崇徳院も当時は「新院」などと呼ばれていましたが、名前に「徳」が入る天皇(実在はともかく、聖徳太子も含めようか)は恨みを抱えて死んだ天皇で、祟らないように「徳」という漢字をつけて鎮魂したという説があります。
保元の乱で敗れた崇徳院は讃岐に流されますが、血で仏教の写本を書いたという話があります(墨で書いたという説もある)。これを後白河法皇に送りましたが、法皇は呪いがかけられているのではないかと疑って、写本を送り返すと、これに怒った崇徳院は舌を噛み切って「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」と血で書いて、爪や髪を伸ばし続けて夜叉のような姿となり、生きながら天狗になったとされています。
要するに王を庶民に落とし、庶民を王とする、という呪いであるから、凄まじい。
乱後は罪人として扱われましたが、祟りと思われる凶事・変事が相次いだために、朝廷も院号を「讃岐院」から「崇徳院」に改めるなどの対応を取っています。
明治天皇は即位にあたって、讃岐に勅使を遣わし、御霊を京へ帰させて白峯神宮を建て、昭和天皇も没後八百年に当たる1964年、崇徳天皇陵に勅使を派遣しています。
乱の主要な登場人物の一人である崇徳院と言えば、日本最大の怨霊としても知られています。いわゆる「○○天皇」などの諡は(原則として)あとから付けられるもので、崇徳院も当時は「新院」などと呼ばれていましたが、名前に「徳」が入る天皇(実在はともかく、聖徳太子も含めようか)は恨みを抱えて死んだ天皇で、祟らないように「徳」という漢字をつけて鎮魂したという説があります。
保元の乱で敗れた崇徳院は讃岐に流されますが、血で仏教の写本を書いたという話があります(墨で書いたという説もある)。これを後白河法皇に送りましたが、法皇は呪いがかけられているのではないかと疑って、写本を送り返すと、これに怒った崇徳院は舌を噛み切って「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」と血で書いて、爪や髪を伸ばし続けて夜叉のような姿となり、生きながら天狗になったとされています。
要するに王を庶民に落とし、庶民を王とする、という呪いであるから、凄まじい。
乱後は罪人として扱われましたが、祟りと思われる凶事・変事が相次いだために、朝廷も院号を「讃岐院」から「崇徳院」に改めるなどの対応を取っています。
明治天皇は即位にあたって、讃岐に勅使を遣わし、御霊を京へ帰させて白峯神宮を建て、昭和天皇も没後八百年に当たる1964年、崇徳天皇陵に勅使を派遣しています。
負ければ騎手のせい(騎手の腕が下手)、
勝てば馬のせい(馬の実力)、とは競馬の常ですが、
北海道人としてはカレンチャンの勝利はうれしい。
孫引きで申し訳ありませんが…。
テレビ・PC値崩れ「底なし」 1インチ1000円以下、売れ筋ノート半値(フジサンケイ ビジネスアイ)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120321-00000002-fsi-bus_all
恐ろしい時代になったものです。
1インチ1万円じゃなかったっけ?
私が42型のプラズマテレビを買ったときは、1インチ7,000円くらいだったような(6年前)
家電量販店でPC見てこようかな。
国債急落、高まる警戒 大手銀が危機管理マニュアル策定(産経新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120324-00000565-san-bus_all
リスクシナリオとしては想定しておく必要はあるんでしょうけど、
金利が2%上がるなんていつのことかな。
あと、昨年、貿易収支が赤字に転落したことはもっと注目した方がいい。
勝てば馬のせい(馬の実力)、とは競馬の常ですが、
北海道人としてはカレンチャンの勝利はうれしい。
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私が42型のプラズマテレビを買ったときは、1インチ7,000円くらいだったような(6年前)
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リスクシナリオとしては想定しておく必要はあるんでしょうけど、
金利が2%上がるなんていつのことかな。
あと、昨年、貿易収支が赤字に転落したことはもっと注目した方がいい。