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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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竹島は忘れてないからな、韓国の大統領よ。
 
外相が中国行け(町村)とか、対話で解決せよ(石原)とか、アホか?
なんでこっちから出向かにゃならんのだ。話し合いで解決しないこともたくさんある。
 
しかし、中国共産党も難しい舵取りを迫られていますな。
統制された抗議活動ですが、一部は暴徒化しています。もはやテロです。
これが統制を離れて、民主化運動にでも転化すると困るわけです。
(徐々に終息化させると思いますが)
 
国内的、対外的には強硬な主張、行動を繰り返さざるを得ない。
そして、両国間の国益は損なわれていきます。
 
平和ボケした日本人も少しはナショナリズム、というか愛国心に
目覚めたかもしれませんが、これがエスカレートすることを危惧しています。
 
(他国から見たら)せっかく眠らせていた日本を起こすことになっちゃうんじゃないかな?
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もうちょっと「ノーマルに」、自分の国に「誇り」を持ってみてもいいんじゃないかね?

的なことを書きましたが。

世の中(漠然とし過ぎていて、構成しているものは個別にある)が一つの方向に流れていくとどうなるか、というのを我々は先の大戦の事例で(少なくとも知識としては)知っているはずですが、今度は反対(とは限りませんが)の方向に流れていくとどうなるか、というのは注意してみておかなくてはなりません。

先の大戦の反動なのか、一時期使われなくなっていた言葉に「国益」という言葉がありますが、いまは盛んに使われるようになっています。右寄りのイメージも少なくなっています。まあ、左の人は「売国」なんだけどな。

血で贖った「国益」を守り、拡げた日本国民は敗戦でそれを一気に失いました。「国益」に背くような行動がエスカレートしたら、今度はどこに向かうのでしょうか。何をもたらすのでしょうか。

先の大戦は軍部や政治家だけが主導したものではなく、

マスコミの報道、そしてそれを煽った(煽られた、だけではない)民衆の存在というものがありました。

反戦を主張するような論調でもあれば、たちまち不買運動が展開されるありさまでした。


2年近く前に、ここで日本のプレゼンスが揺らいでいる、ということを書きましたが、

もはや低下していると言っていいでしょう。

(プレゼンスは存在感、あるいは、威信と言い換えてもいいかもしれません)

中共やロシアだけではなく、韓国にまで舐められる始末です。

「どじょう」は泥を塗られても平気なのかね。

無為無策であることは対立を避けることを意味しません。

将来においてさらに深刻な対立を招くことになります。


国の威信は、政治や経済、軍事といったものによって成り立つものですが、

目に見えるものではありません。

しかし、それを維持するには不断の努力が必要です。


さて、先にマスコミの話をしましたが、

今回の竹島や尖閣諸島の件で、テレビのニュースや新聞が大々的に取り上げて、

世論をどこかの方向へ導くかのような感はありません。

むしろ、なるべく扱いを小さくしようとしているかのようにすら感じられます。

先の大戦でマスコミは軍部の圧力で戦争を支持する記事を書いたわけではありません。

「目には見えない力」(それは軍部や民衆の存在だったのですが)が書かせたのですが、

今回、その力はどの方向に働いていくのでしょうか。


韓国に対して、宣戦布告するとか、国交を断絶するとか、

そういうことは思いませんが(相手と同じレベルに堕ちることになる)、

自分の国の威信を汚されて、どうも思わないのかね、この国の国民は。

敗戦と戦後教育のせいではありますが、

もっと自分の国に「誇り」を持ってもいいと思います。
たしかに、アドミラル・トーゴー(東郷提督)は日本海海戦で、

ロシアのバルチック艦隊を撃滅して、ほぼ完勝した偉大な海軍軍人ですが、その後が悪い。

1930年、ロンドン海軍軍縮会議が始まると、艦隊派に担ぎ出されて、

軍縮反対派のシンボルになってしまいます。

このころにはすでに神格化されだしていて、容易に反対が唱えられなくなります。

これ以上の軍備拡張には国力が耐えられない日本にとって、

この軍縮会議は好機だったのですが…。

東郷鋼(はがね)という商品がありましたが、

これをもじって、陰では「東郷バカネ」と言われていたという話もあります。

太平洋戦争開戦直前の昭和9年まで生きました。
800年前中井町で盗難、曽我兄弟仇討ち縁の仏像が山形で発見(カナロコ)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120722-00000014-kana-l14

まあ、またなんと昔の話。

日本三大仇討ち(あだうち)の一つである曾我兄弟の仇討ちについては押さえておきたいですね。

鎌倉時代の話ですが、江戸時代になって能や歌舞伎の題材とされて人気を博しました。
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